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この程度の人間が、他人を啓発して良いのだろうか。

僕は、noteを書いていると、どうしても「自己啓発」っぽい文体になりがちです。

読んだ人が一瞬でも前向きになるような、そんな文章を意識してしまいます。

せっかく時間をかけて読んでくれるのですから、ちょっとでも得だと思わせたいし、元気になってもらいたい。

しかし、ときどき、こう思うことがあります。

この程度の人間が、他人を啓発して良いのだろうか。

ダラダラしていることもあるし、仕事でしくじっているし、友達も多いわけではなく、誰からも羨ましがられる人生を送っていない。

啓発して良いのは、大成功を収めた人で、一般人とは次元の違う生活をしていて、人望も厚くて、みんなから憧れられる人じゃないといけない。

そんなふうに、思うのです。

もちろん、僕の文章は、啓発系だけではありませんが、それでも新たな考え方を提案するものが多いので、人によっては、それも「説教くさい」、「押しつけるがましい」と感じる人がいるかもしれません。

正直、時々僕も、そういった人の目を気にして、自分の文章なのに、自分の主張を抑えてしまうことがあります。

「なんで、立派じゃないヤツが、立派なこと語ってんだよ・・・」

自意識過剰かもしれませんが、他人にそう見られているかもしれないと思うと、文章を書くことが、すごく怖くなります。

じゃあ、自己啓発っぽい文体をやめれば良いじゃないか。

自分の気持ちをそのまま書いたり、ハマっている趣味の話をしたりしながら、noteを書いていけば良いじゃないか。

でも、それは僕にとって、ものすごく難しいことなんです。

僕が素のまま文章を書くと、ネガティブすぎて、読んでいるだけで気分が悪くなるようなものになるし、趣味の話も狭すぎて、みんなが興味あるものとはかけ離れます。

自分の気持ちに折り合いをつけるには、皆さんにお見せできる形にするには、前向きな結論が必要なのです。

だから、どうしても、他人を啓発してしまう文章になりがちなのです。

そもそも、「啓発」には、何の資格もいりません。

むしろ、あまりにもすごい人は、生活レベルが違い過ぎて、その人たちの考え方を自分の生活に取り入れることは難しいです。

しかし、僕ぐらいの人間なら、皆さんと近いレベルの生活ですし、場合によっては、下回っているかもしれません。

そんな人の言葉なんて、聞きたくないと思う人もいるかもしれませんが、できれば、そんな人の言葉だからこそ、聞いてもらいたいのです。

もしかしたら、大成功者の言葉より、分かりやすいかもしれないし、実践しやすいかもしれないし、心が動くかもしれません。

本来、言葉の威力は、「誰が言うか」ではなく、「何を言うか」なんですから。


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