自由に解釈できれば、絶望しなくて良くなる。
最近の僕は、眠っている時に楽しい夢ばかりを見ます。
その日、一度も思い出すことがなかった学生時代の同級生4人が出てきて、楽しくお喋りしながらオムライスを食べたり、好きなアイドルが妹になっていて、悩みを聞いてあげていたり…。
ただただ純粋に、楽しい時間が流れます。悪夢をよく見る人からすれば、羨ましく感じるでしょう。
しかし、それがとても恐ろしく感じることがあります。
いつも楽しい夢を見るからこそ、起きるのが嫌になるし、現実のつまらなさが際立つし、何度寝でもしたくなります。
起きた後に、「楽しい夢だったー!」と思う反面、「うわぁー。これから夢の楽しさを下回る1日が始まるなぁ…」とガッカリします。
もしかしたら、こんな悩みは、贅沢と言われるかもしれません。
僕の周りの人にどんな夢を見たかと尋ねても、大体は「見ていない」もしくは「覚えていない」と言われるため、誰にも話せない悩みでもあるのです。
ネットで調べても、悪夢を見る人向けに専門家が語っている記事が多く、楽しい夢はポジティブな現れだとか、強いストレスをごまかしているといった、真逆のことが書かれているもので溢れています。
つまり、楽しい夢を見る本当の意味は、よく分かりません。
ここまできたら、この事実をどう捉えるかは、自分次第です。
「楽しい夢を見ること」を良い悪いで判断するのではなく、そこから何かを得られるのではないかと考えることもできます。
友達と喋りながらオムライスを食べたり、妹の悩みを聞いていることに喜びを感じているということは、事実です。
人と喋ることに、喜びを感じているのは確かなことです。
自分の日常はどうでしょう?
このご時世ということもありますが、誰かと面と向かって話すことは少なくなっています。沖縄から上京しているため、昔の友達に会うことも多くありません。
テキトーだけど笑えるお喋り、悩みを真剣に聞くこと、自分の渾身の話を誰かに伝える機会も、だいぶ減っています。
たまに行く飲食店でも、気を張った東京の言葉で話しているだけで、気の抜けた話をする時間なんてものは、全くありません。
自分に最も足りないものが、すべて揃っているから、夢を見ることが楽しく感じるのでしょう。
答えがないもの、答えが決まりきっているものも、自分にとって最も価値のある解釈をすることで、大事なことに気がついたりします。
もちろん、正しい答えがあるなら、それを知る必要もあるかもしれませんが、それでも自分なりの解釈を密かに持っておくことで、日常が楽しくなると思うのです。
自由な解釈ができるということは、幸せに生きるのが上手いということです。
自分に起きることは、自由に解釈してみましょう。
現実を悪く見て絶望するだけの生き方よりも、断然そっちのほうが、賢い生き方です。
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