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今日、少しでも仲良くなろうとしただろうか。

今日の僕は、少しでも、仲良くなろうとしただろうか。

大人になると、こんなことを考える機会が増えました。

人、仕事、家事、note、自分自身・・・。

仲良くした方がいいことがたくさんあっても、面倒くさがり屋な自分の性格が邪魔して、何と対峙しても「うわぁー、面倒くさっ」と言って、放り投げることが多い気がします。

人との約束も、嫌いじゃなかったはずの仕事も、なぜか嫌って、なぜか面倒くさがって、なぜか遠のいてほしいと思ってしまう。

決して、大嫌いなわけではないのですが、人や物事を自然と避けるようになり、面倒くさいことに囲まれた気分になります。

なぜ、こんなに自分に関わる人や物事と、仲良くなれないのだろうか。

それは、自分から歩み寄らなくなってしまったからです。

子どものときと比べたら、いろんなこと興味を持って時間を費やすことは、あまりしなくなりました。

あの時は、勉強だろうが人間関係だろうが、なんでも自分から歩み寄って仲良くすることで、人生を良いものにしていました。

しかし、大人になるにつれ、自分から歩み寄っても、上手くいかないことが多くなります。

自分が想像している以上に、世の中は複雑で、自分がアクションを起こしても、損することはたくさんあります。

その経験から、「怒られたらどうしよう…」「恥をかいたらどうしよう…」「クビになったらどうしよう…」という恐れがよぎり、自分から歩み寄ることが怖くなります。

また、そんなことを気にしている自分もカッコ悪く感じて、自己嫌悪にも陥りやすくなります。

そんな負のループに入ることは、誰にとってもよくありません。

僕らは自分から歩み寄らない限り、なにとも仲良くなれないのです。

みんなだって損することが怖いから、自分からは歩み寄りません。

相手から歩み寄ってきてくれたとしても、自分が心のシャッターを下ろすと、相手はもう話しかけてこないでしょう。

ましてや、仕事や勉強の場合、自分から歩み寄らないと、向こうから動いてくれることはありません。

一方的にやらされる仕事や勉強になると、当然好きになれないし、どんどん嫌なイメージが定着してしまいます。

たとえ、すぐに仲良くなれないとしても、常に僕らは「仲良くなろうとする姿勢」がないと、人生が生きづらくなってしまいます。

だからこそ、「少しでも、仲良くなれただろうか」と、考えることは大事なことなんです。

特に僕は、自分から歩み寄って失敗した経験が多々あるため、基本的に、すべてのことと仲良くなろうとしない、消極的な姿勢をもってしまいます。

自然体でいると、誰にも話しかけないし、何もすすんでやらないし、好奇心だって抑えつけることができます。

そんなとき、いろんな人や物事と仲良くしている、同い年の友達を見ているとこう思います。

「俺はコイツと同じ年数を生きてるのに、あんなに楽しんでないなー。なんか、損しているな。」

僕は「損はしたくない」という欲の方が強いのか、そういう人と自分を比較すると、ちょっと頑張れます(笑)。

そんな考え方の僕ですが、どうか皆さん、仲良くしてやってください。

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