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8年間も続けた部活をやめる勇気

僕の周りには部活大好きな人が多かったです。授業中から早く部活に行きたい人ばっかりでした。しかしながら僕は、高校入学ともに、小学生から8年間続けていた部活をやめました。

そもそも、僕がサッカーを始めた理由は、兄が始めたからです。父親が、家にばかりいる僕を外に出したくて、兄に「こいつもやらせろ!」と言ったのがきっかけです。

もちろん僕は、サッカーに何の興味もありません。ただ、言われた通りにずっと続けていきました。

しかし、サッカーを続けていくと、サッカーを好きな人の気持ちが分かる瞬間があります。

得点を決めると妙に嬉しかったり、他の人よりサッカーが上手いと優越感に浸ることができたり、誰かが代わりに試合に出ると悔しかったりします。その度に、次はこんなことしてみたいとか、周りの人がやっていないプレーをやってみようとか、サッカーに対して前向きな姿勢を持ちます。

そんなことに感情を揺さぶられて、もっとサッカーに打ち込んでやろうと躍起になっている時点で、僕はサッカーの魅力に憑りつかれています。

それでもサッカーをやめたのは、やっぱり楽しくなかったからです。

“物事の魅力を知ること”と“自分が楽しいこと”は全く別物です。

サッカーの魅力はわかっても、それを僕が楽しいかどうかという視点で考えれば、全く楽しくありませんでした。

僕がサッカーを楽しめない理由としては、精神的に傷つけ合うことが多かったからです。同じチームなのに、誰かのミスを責め続け、みんながサッカーを楽しむ雰囲気よりも、怒られないようにサッカーをしている感じが、嫌でたまりませんでした。

そんなの気にしないでやればいいのですが、本当のことを言われていることもあるので、そういうわけにもいきません。文句を言われた人は、どんどん自信を失くしていき、楽しくないサッカーを続けていくしかありません。

僕にとっては、どうしてもそれが楽しくなかったのです。

僕からすれば、試合中にチームメイトの怒りも要りませんし、チームメイトの謝罪も要りません。声を出すなら、パスを求めるとか、相手の動きを教えてあげるとか、それだけで良いと思います。

もしかしたら、僕のチームだけだったのかもしれませんが、こういう側面がサッカーの楽しさを失わせていました。少なくとも、僕にはそういう雰囲気は合いませんでした。

そして僕は、サッカーの成績で高校への推薦入学を決めたくせに、入学とともにやめました(笑)。

ただ、この8年間で学んだことは多いです。

部活をした人としていない人では、手応えを感じた回数が違いますし、悔しがる回数も違います。それに慣れているだけで、その後の生き方に活かすことができるのも確かだと思います。

でも、高校入学とともにサッカーを辞めた人生に、後悔は全くありません。

むしろ、物事の魅力を知った上で、その場を離れる勇気を持ったことが、自分を大きく前進させてくれました。そうでもしないと、僕は何かをやめる勇気を持つことはできなかったと思います。

少なくとも、僕はこの先、8年以上も楽しくないことを続けることはないでしょう。

っていうか、よく8年もやっていたなぁ(笑)。

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