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透明言葉は、正しく読めない。

日本だからなのか分かりませんが、言葉には表されていないことまで、読まなきゃいけない時があります。

小学1年生のときに、誰かが給食を残すたびに、担任の先生に怒られていました。当時の先生はこう言っていました。

「世界の貧しい子どもたちは、食べられないんだよ!」

僕の横で、友達がこう言われているのを見て、僕は、まだ残っていた自分の給食を残飯に入れました。先生も友達も「はぁ?」という顔をしています。

それを見て僕も、「はぁ?」という顔をしています(笑)。

なぜこんなことが起きてしまったかというと、先生も友達も「世界の貧しい子どもたちは、食べられないんだよ!」という言葉を正確に読んでいたのに対して、僕だけはちゃんと読めていなかったからです。

先生の言葉には、言葉にするまでもない言葉が含まれていました。正確にはこうです。

世界の貧しい子どもたちは、食べられないんだよ!(だから、恵まれているあなたは食べなさい)」

しかしながら、僕はこう読んでしまっていました。

世界の貧しい子どもたちは、食べられないんだよ!(だから、あなたも食べるべきではない)」

食べ残してしまったシチュエーションで、こう読んでしまうのはどう考えても不正解です(笑)。

ただ、先生の言葉も、国語の読解問題でも、言葉になっていない言葉を正確に読めない方が悪いということになりますが、そもそも表現を疑ってもいいんじゃないでしょうか?

文字に起こされていない透明言葉を読ませる方が、悪いと思います(笑)。

先生だって、生徒の栄養バランスを気にして、食べさせたいのであれば「給食は栄養バランス考えて作られてるから、全部食べなきゃ!」とか「ここで苦手なものを克服しておくと、大人になったら美味しいものたくさん食べれるよ!」とか、そんなことを言ったらいいんです。そんな激ムズ読解問題を出す必要はないはずです。

しかしながら、世の中はそんな激ムズ読解問題ばかりです。

中学時代の席替えで、ある女子に言われた「絶対、隣にならないでね」は、「本当は隣になってほしいけど恥ずかしい」の意味が込められていたのか、それとも本当に迷惑だったのか。

この前友達が言った、「お前って、考えすぎだよな」は、考えすぎているからこそ一緒にいて楽しいのか、それとも考えすぎだからこそしんどいのか。

友達のお母さんから言われた「大人だね」は、大人っぽい考え方ができてカッコいいという意味なのか、それとも大人しいからそう言っただけなのか。

もしかしたら僕は、ほとんどの言葉を正確には読めていません。

しかし、透明言葉を読んでいないからこそ、僕は傷ついていなかったり、プラスの意味に捉えていたりするのかもしれません。そして、透明言葉に絶対的な答えがないからこそ、言葉の面白味を感じることができます。

読解能力が低いって、割といいもんですよ(笑)。

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