「良い人生」と「良く見せたい人生」は、全く違う。
僕の口癖は、「~べき」と「~なくちゃ」です。
この言葉が僕を奮い立たせて、完璧主義を作り上げていたのですが、あまりにも支配されすぎていると、自分に耐えられなくなる時があります。
僕は一度するべきだと思っていることは、とことん実行します。
健康のためには、お酒も飲まない、たばこも吸わない、甘いものを食べ過ぎないのは、当たり前にやるべきことです。
その上で運動するべきだし、早寝早起きするべきだし、お風呂には浸かるべきなんです。
そして、仕事を頑張りたいのであれば、やらなくちゃいけないこともたくさんあります。
読書しなくちゃ、好きなテレビ番組ばかり観るのを控えなくちゃ、話に乗り遅れないように流行も追わなくちゃ、情報に追いつかないです。
その上で、仕事中は集中しなくちゃ、他人に好かれなくちゃ、結果を出さなくちゃいけないです。
・・・とか言っていますが、すみません。正直、時々発狂しています。
人生は我慢の連続で、いつまでたっても辛いものになってしまいます。
そもそも、「~べき」と「~なくちゃ」に支配される理由はなんでしょう?
それは、他人に良い自分を見せようとしすぎているからです。
他人の前で良い自分を見せていると、それなりに評価されて、やたらと尊敬されて、とても気持ちが良くなります。
しかしながら、他人の期待に応えすぎて、自分の内側にまで他人が住んでいるような感覚になります。
自分一人でいるのに、他人が自分の行動を監視しているような気分になってきて、怠けていると怒られているような気さえしてきます。
つまりは、自分自身に対して、自分を良く見せようと努力します。
その結果、発狂してしまいます…(笑)。
だから僕は、時々人生に生きづらさを感じます。ここまで我慢して、ここまで報われない人生を送ることに面倒さを感じます。
しかし、気がついたことがあります。
「良い人生」と「良く見せたい人生」は、全く違う。
良い人生は、自分にとって最低限のことをやるだけで良いのです。
「好きな仕事をしたい」「好きな友達とずっと遊んでいたい」「好きな人と結婚したい」など、それを叶えたら十分です。
しかし、「良く見せたい人生」というのは、全く性質が異なります。
「結果を残したい」「友達がたくさん欲しい」「スペックの高い人と結婚したい」というのは、完全に周りの見え方を気にしています。
もちろん、それが叶えば良いと思いますが、いつまでたっても満たされない思いを抱えてしまう可能性も高いです。
やっと目標を達成したと思ったら、今度はよりレベルの高い期待をされて、「まだ自分は認められないのか…」と疲れてしまいます。
だからこそ、自分にとって良い人生を追求するだけで良いのです。
誰かに羨ましがられたからといって、素晴らしい人生とは限りません。
自分の人生を生きるのは、自分しかいませんから。
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