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学びは、最も簡単な進化手段

小さいときから、学校教育で何かしらを学んでいく僕たちは、大人になってからも“学び癖”が抜けないところがあります。

学校では知らないことを知って、知識を積み上げていくことで、成績は上がっていきます。そのため、「学ぶ=素敵なこと」とされている気がします。

もちろん、学ぶことは大事なことですし、必要なことではあると思いますが、“学び至上主義”になってしまうのは、良くないことだと考えています。

僕は高校生のとき、レストランのバイトと学校の勉強を両立している学生でした。バイトと言っても、高校生のお小遣い程度にやるものではなく、家庭の経済的負担を支える大事なものだったので、学校にいる時間よりもバイト先にいる時間の方が長かったです。

そんな3年間を過ごしていて気づいたのが、ほとんどの人が「学び>バイト」で、学ぶことに価値があるという考えを持っていることです。「バイトなんて、いつだってできる」「高校3年間は、楽しく部活をすればいいんだ」など、そんなことを言ってきます。学生なので学業に励むことは当然なのかもしれませんが、僕は当時、「学び<バイト」が正しいと思いました。

その理由は、世の中に貢献しているからです。

例えば、テストで100点を取ったとしても、誰かが助かるわけではありません。誰かが笑顔になるわけでもありませんし、対価を支払いたくなるわけでもありません。

それに対して、バイトでお客様に美味しい料理を提供すると、腹が満たされる人もいますし、喜んでくれる人がいますし、対価も支払いたくなります。

それぐらいの影響力があるからこそ、実際に対価をもらって生活ができたりするわけなんです。たかがバイトと言われていますが、それで生活している人もいます。

それでも、学ぶことが好きな人は多いです。自己啓発本でいろんな知識を得たり、大学で難しいことを学んだり、何かしら独学したりする人もいます。なんだったら、人より多少の知識があるだけで威張ってくる人もいます。

でも、大事なのは、その人が知識をどう生かしているかだと思います。

何かを学んで頭の中に記憶するのか、実際にアウトプットして誰かに影響を及ぼすのか、全然意味が違ってくると思います。

じゃあ、どうして“学び至上主義”になってしまうのか。

その理由は、”学びは、最も簡単な進化手段”だからだと思います。

知らないことを知ると、人との差がつきますし、レベルアップしている感じもします。自分の体に翼が生えたような感覚で、見える景色が違う気がします。知識を蓄えるだけなら、何かしらの技能を習得しなくてもいいですし、知識を解答用紙の前で引き出すだけなら、相手の気持ちなども考えなくていいです。

しかし、自分の知識は、サービスや製品などの形でアウトプットしないと、誰かに影響を及ぼすことはできません。僕らは、その恩恵を受けているからそ、楽しい毎日が過ごせています。

このnoteが、僕の知識を引き出すだけのものになってなければ良いな。

そんなことを思いながら、毎日書いているので、これからもよろしくお願いします(笑)。

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