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それは、何もしていないのではなく、目に見えない努力をしているんだ。

努力には、目に見えるものと、目に見えないものがあります。

何かしら、手を動かしているときは、誰がどう見ても、努力しているように見えます。

その姿を見ると、応援したい気持ちが生まれたり、自分も頑張ろうと刺激をもらえます。

しかし、努力はそれだけではありません。

どうやって進めるかを計画している時、自分は何がしたいのかと自問自答している時、斬新なアイデアになるように考えている時だって、そのどれもが努力に該当します。

他人からすれば、ボーっとしているようにしか見えないので、これを努力と呼ばない人もいるでしょう。

しかし、目の前のことに対して時間をかけているのですから、他人に見えようが見えまいが、それはれっきとした努力なのです。

ときどき僕は、「努力は、手を動かすこと」と勘違いしてしまうことがあります。

とにかく、何かしなきゃ。早く動かなきゃ。何もしないのはよくない。

こんな言葉を自分にかけては、焦って動き出します。

しかし、焦れば焦るほど、なぜ自分がこれをやりたいかが分からなくなったり、一つ一つが雑になったり、やり直しが多くなったりと、やる気を削ぐような出来事にぶつかります。

なぜなら、自分が焦りすぎて、「目に見えない努力」を軽視したからです。

「努力は、手を動かすこと」と勘違いしてしまうと、目に見えない努力は、努力していないことと同じ意味で扱ってしまいます。

何時間もかけて考え続ける工程は、すごく孤独ですし、何も出なかった場合は、前に進んだ感覚もありません。

だからこそ、目に見えない努力は、なるべく最小限に留めようとします。

しかし、ここを疎かにしては、自分が進むべき道は見えてきません。

自分なりの良し悪しの基準がブレブレなので、何をすることが、自分の望む未来に近づけるかが、見定められなくなってきます。

その結果、頭がぐちゃぐちゃになって、とにもかくにも手を動かして、自分の目的が「頑張ること」に置き換わってしまいます。

確かに、手を動かして頑張らなければ、自分の望む未来には近づけません。

それと同時に、やみくもに手を動かしているだけでも、自分の望む未来には近づけません。

やはり、目に見えない努力だって、自分の望む未来に自分を近づけるためには、大事な工程です。

それは決して、「何もしていない」のではなく、「目に見えない努力をしている」だけなんです。

ならば、じっくりと時間をかけるべきことでしょう。

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