見出し画像

「気にしない」は、簡単そうで難しいけど大切だ。

少年時代、僕はおもちゃでよく遊んでいました。

数十体のおもちゃを使ってやるのは、テレビ番組の妄想ごっこ。

NHKで放送されていた「爆笑オンエアバトル」を、デジモンやウルトラマンのフィギュアを使って再現していたことをよく覚えています。

それから、おもちゃ遊びのレベルは上がっていき、新しい番組を自ら創造し、架空の登場人物を当てはめて、1から番組を作るようになりました。

僕のおもちゃ遊びは、止まるところを知らず、小学2年生まで続きます。

バラエティ、ドラマ、音楽番組など、とにかくあらゆる番組を創造することが楽しくて仕方なかった。

独りよがりなこの遊びに、誰かを誘う勇気も余裕もなかったのですが、ただ1人、この遊びに混ざってくれる人がいました。

それが、近所に住んでいた4歳上の少年です。

彼は、自分が小学6年生になっても、僕と同じ目線で、おもちゃ遊びに付き合ってくれました。

1人で自由自在におもちゃを動かして遊ぶことも楽しかったけど、誰かと一緒にやると、どうやったら他人が笑ってくれるのかも分かるので、遊ぶたびに新たな発見があります。

しかし、年齢を重ねるごとに、ぼくはおもちゃ遊びに後ろめたさを感じるようになりました。

僕が小学2年生、彼が小学6年生のとき。

広場でおもちゃ遊びをしていると、彼の同級生が通りかかって、僕らを見て「アイツら、小学生なのに、おもちゃで遊んでるぜ!」と後ろ指を指されました。

僕は、「やっぱりそうだよな」と思いつつ、トキオの顔を見ると、「いいよ!気にしないでおこう!」と言って、すぐにおもちゃの世界に入っていきました。

僕も慌てて入り直しましたが、申し訳なさで胸いっぱいになります。

学校でバカにされるかもしれないし、クラスで浮いた存在になるかもしれないし、恥ずかしい思いをするかもしれない。

それでも彼は、何事もなかったかのようにおもちゃ遊びを続けました。

しかし、僕は、まだ心のどこかで恥ずかしさや申し訳なさが戻り、声のボリュームは小さくなるし、周りをきょろきょろと見回していました。

「気にしない」というのは、簡単そうで、ものすごく難しいことでした。

僕は、どうやったら気にならなくなれるのかが分からず、その出来事をきっかけに、おもちゃ遊びをやめて、自分の頭の中だけで架空の人物を作って創造するようになりました。

そして今も、何かしらを創造して生き続けています。

未だに、他人の目が気になるし、バカにされるのが怖いし、そんな自分が情けなることもあるのですが、ときどき彼のことを思いだして、こう唱えています。

「いいよ!気にしないでおこう!」

別に悪いことをしているわけじゃないし、周りに遠慮して生きなきゃいけない理由もない。

よく考えたら、僕らに後ろ指を指している人たちだって、何かを気にして発言しているわけではないし、その人たちを気にしていたら楽しくなりません。

「気にしないこと」でしか、解決できない問題もありますから。

面白いと感じてくれた方、よろしければサポートお願いします。純粋に僕が嬉しいだけでなく、もっと量が多く、もっと高品質な作家活動ができます。どうぞ、よろしくお願いします!