近況報告

前回の退職日記から早9ヶ月が経過。(案の定、日記は三日坊主で止まっていた)

さてこの間、自分は何をしてきたかと過去の記憶を振り返ると、色々と楽しかった思い出ばかりが浮かんでくるのだけど、結論を言ってしまえば、現在も無職である。
ただ、9ヶ月間丸々仕事をしていなかったわけではなく、時折知人を伝って短期の仕事を手伝うなどして過ごしてきた。
そして空いた時間には、心の赴くまま、新しい周辺分野の学びに充てた。
背景としては、ここ数年、本業のiOSアプリ開発と、趣味(プログラミング理論)にばかり興じ、知識が偏っていると自覚したためだ。
リバランスの必要性を感じ、約半年ほど得意分野を封印して、自らの視野を広げる活動を行った。

実際に取り組んだ内容としては、

- とあるスタートアップで、ビジネスサイド(営業等)を経験
- Rust, TypeScript (Next.js), Flutter, PureScript, Idris などの言語やフレームワークの習得
- サーバーサイドの勉強(AWS や GCP/Firebase を使った個人プロジェクトの開発)
- 機械学習(Coursera受講 → Tensorflow/PyTorch モデル作成)

といった、「いつかやってみたい」リスト(おおよそ数日〜数週間あれば始められるもの)を片っ端から試して遊んだ。
もちろん、いずれも初歩程度の内容であり、まだまだ達成できていない関心事も沢山ある。
その他、人類史やビジネス・経済学の本を読み漁ったり、株式投資を再開したり、最近は、料理と健康管理に意識が向き始め、脂質や塩分の摂取量を控える生活を送っている。

こうして自分なりに興味を広げ、雑多に取り組んでみた感想としては、仕事に就いていた頃以上にものの見方が広がったように感じる。
しかし一方で、仕事と違い、納期に追われたりプレッシャーを感じることがないため、緊張感のない時間を多く過ごしてきたこと、またインプットばかりに熱中してアウトプットがほとんど無かったことが、課題として挙げられる。
まるで、ただ勉強するだけの学生の気分であるが、テストや論文を書く必要もないので、一層のこと性質が悪い。

ここでもう少し具体的に、これらの点の何が問題かについて整理してみると、

- 物事に全力で取り組まなくなる
- 自分本位になる(相手のために何かしなくなる)

となり、周囲のストレスが無さすぎることの弊害が改めて浮き彫りになる。
悪い意味で、プログラマーの三大美徳にも似ている。

個人的に、「相手のために全力を尽くす」ことが良い仕事、延いては社会(人)の理想の姿だと思うのだが、どうも私の場合、この基本的な精神が毎度のごとく抜け落ちている。
ひとえに想像力(ビジョン)が足りないのだと思う。
正しい方向に向けないのだ。
どれだけ技術や一芸に長けていたとしても、進むべき道が間違っていれば意味がなく、そしてもしその持っている技術が実は大したものでなければ、相当悲惨としか言いようがない。
もしかしたら今、私が置かれている状況は、そういうことなのかもしれない。

そういうわけで、段々と無職であることへの危機感が芽生え始め、(仕事でなくても)何かアウトプット出来ることはないかと思っていた矢先、今年も [iOSDC](https://iosdc.jp/2020/) という毎年参加しているiOS開発のイベントがオンラインで開催されることが決まり、久しぶりに自分の原点に立ち返って、つい先日、登壇発表した(感想ブログ)。

ここで正直に言うと、実はこのとき、前述のアンラーニング期間の影響もあり、Swift/iOSへの意欲が昔ほど無くなっていたのが実情であった。
が、毎年iOSDC各位にはお世話になっているし、今回は過去の登壇の総集編的な話が出来そうだったので、もう一度頑張ってみようという気持ちになった。
結果的には、例年通りの自分本位な発表のままで終わってしまった気がするが、自分なりに丁寧な解説を心がけ、ベストを尽くせたと思っている。

その後、海外の友人から「英語版はないの?」と訪ねられ、極度の面倒くさがり屋として、これ以上のモチベーションは・・・と思いながらも、軽い気持ちで「欲しい人いる?」と尋ねてみたところ、今ここでiPhoneがピコピコと鳴り止まなくなっている。


なんと、100いいねがあっさり集まってしまった。

私はあまり周りを扇動してまでいいねを集める性分ではないのだけど、これほど興味を持ってくれる人が多いのかと思うと、何だか嬉しい気持ちになったし、もうひと肌脱いでみようという思いになった。
たかだか、スライドの中身と登壇メモを英語にするだけの簡単な仕事だが、英語版を作ることで、より知見が広まって刺激を受けてくれる人が増えてくれるかもしれない。
そういう役割が自分にもまだあるのだなと思った。

突き詰めると、人は生きている限り、熱狂する何かを伝え続けなくてはならないのだと思った。

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