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柔道は触覚の勝負|稲見昌彦×野村忠宏対談シリーズ 第1話

身体論を語る際にスポーツ選手の視点を欠かすことはできません。とりわけトップを争う選手は、いわば自分の体を誰よりも自在に操れる人材。その意見の重さはなおさらです。自在化身体セミナー第6回は、オリンピックのゴールドメダリストをゲストに招きました。柔道60kg級で3大会連続の栄冠に輝いた、日本を代表するアスリートの野村忠宏氏です。対するホストの稲見教授は、競技の頂点に立つ上で必要な体と心の関係性から、そこに至る練習法と技術による支援の可能性、世界に通用する文化を日本から広げていく方法論まで、自在化身体プロジェクトの発展につながるヒントを次々に聞き出していきます。(構成:今井拓司=ライター)

無意識の探り合い

自在化身体プロジェクトの「自在化」という文言は、人は身体の多くの部分を、意識して動かすか無意識で動かすかを自在に切り替えられるという事実に由来しています。歩きスマホをしていた人が、目の前の階段を意識するとおもむろに登る動作に切り替えるといった具合です。今回の対話の入り口は、動きと意識をめぐる議論から。トップアスリートは、自分自身の動きを一体どこまで意識しているのか。

稲見 実際のところ、柔道ではご自分の動きをどれくらい意識しているものですか。試合されてるときと、練習のときとの違いもあるでしょうが。

野村 例えばゴルフをするってなったら、まず最初にフォームがあって、何度も繰り返し繰り返し、その「形」を覚えるわけじゃないですか。自分は全然できないですけど。

野村 柔道の場合も同じで、背負い投げっていう技であれば、その動きをもう体が覚えるまで繰り返し反復でやる。手首の使い方、肘の曲げ方、腰の回転の仕方、足の運び方。これが全部、体に染み込んでいます。
 その上で相手がいて、相手の姿勢や重心、相手の間合い、距離など、色んなものの中で、ここっていう瞬間に、自分が覚えた背負い投げのフォームを、状況にマッチする形で仕掛けていく。これはもう反射ですよね。
 もちろん頭で考えてる指令だと思うんですけど、自分の中では無意識、反射のレベルで入っていないと、やっぱり相手に気付かれる。「よし、この技で行ってやろう」って思った時点で多少、0.何秒なのか(遅れがあって)、トップ選手には察知される。相手と組み合ってるから、体の力みとか含めて。
 自分でも無意識って思えるぐらいの感覚で入らないと相手に読まれて、つぶされたり返されたりする。極端な言い方をしたら、「え、俺、今、どうやって投げたの」って思える瞬間があります。

稲見 それは多分、ご自身の運動パターンを完全に、自動的に再現できるようになるまでの「形」のトレーニングだと思うんです。一方で相手がいて、それこそ相手が技をかけようとしてるのを無意識のうちに理解して、体がすっと自然に動いて対応するというのもある。
 「形」の部分は理解できるんですよ。でも、相手が動くと(先々の状況が)突然無限の可能性を秘めてしまいますよね。しかも試合ごとに相手も違いますし、同じ相手でも前回やったときと変わっているかもしれない。そういうときって、どうやって読むんでしょう。

野村 これはもう感覚としか言いようがないですね。やっぱり柔道が面白いのは、例えば相手がこう動いたから、こう来るだろうって予測が立ったとする。その予測どおりに体が反応したときに、フェイントがあるんですね。
 例えば私が背負い投げで相手を投げようとして、相手をばっと引き出したら、相手は投げられないように重心を後ろに移す。腰を落として。このとき、同じようなフォームで背負い投げに行きながら、自分の上半身を切り替えて、相手を後ろに投げるとか。それが柔道の面白さであり難しさで。

相手を引き出し(左)、背負い投げに行くか(中)、フェイントで後ろに投げるか(右)

稲見 それはお互い読み合いながら。

野村 そうですね。

稲見 どちら側に軍配が上がるのかは、どこで決まるものなんですか。まず、思った通りに体が動くのは、選手になる以前の基本的なところだと思うんです。多分、その先の何かがあるわけですよね。野村さんとお話ししたかったことの一つはそこなんです。

野村 あると思います。ただ、それは正直…(沈黙)…何なんでしょうね。そういうものを実際、自分たちがコーチに教えてもらったかっていったら、そうではないんですよね。

超一流と普通の選手の差

本人にもわからなかった選手の動きに光を当てたのは科学技術の力です。人の動作をデジタルデータに変換するモーションキャプチャの技術が、トップ選手の強さの秘密を解明しつつあります。

野村 ただ、今、色んなものが科学的に解明されたりしてて、例えば柔道の科学班が、モーションキャプチャを使って選手の動作解析をしたら、背負い投げをかけて相手を投げるまでの時間は、大学生と一流選手で、ほぼほぼ変わらなかったんです。
 でも学生とトップ選手で、相手を投げて一本を取る確率は全然違うんですね。それを解析したら、技に入るまで、投げるまでの速度は一緒やけど、トップ選手はまず足の動き、腰の回転が速くて、ちょっとだけ上半身は残ってるらしいんです。大学生は足の動きと上半身の動きが全部、一緒なんです。

稲見 全身の使い方が微妙に違う?

野村 そうなんですよ。トータルの速度は一緒だけど、上半身、下半身の動きのねじれというか、そのスピードが違ったりする。トップ選手は上半身が残ってるんで、その本当にわずかな0.0何秒の間に色んなことを脳で考え、脳で感じて、例えば残ってる分、こっち(逆方向)も行けるんです。こっち(順方向)も行けるし、こっち(逆方向)も行ける。

稲見 行動の選択肢が複数あるわけですね、上半身を残しといた方が。

野村 そうなんです、はい。そういうところでの細かーい、ぱっと見た感じでは分からない違いがあるらしいんです。一流っていわれる選手と二流っていわれる選手の間に。

稲見 ポイントは、複数の技に移行できる可能性をぎりぎりまで残しておくところだと思うんですけど、複数の可能性があるポイントは、試合の流れの中で何回も出てくるものなんですか。

野村 はい、ありますね。自分もテレビ番組の特集で見て、「あ、そうだったんだ」って思いました。やってる本人もそういう意識はないんですよね。
 今は1人だから、なかなか動きを実演しづらいですけど。背負い投げって技は、相手をあちらへ投げるんですね。そのときに相手が反応して、投げられないように後ろにこう踏ん張るんです。けど、こう行ったら(上半身が回ってしまったら)、相手がいくら踏ん張っても、もうそれ以上、変化しようがない(背負い投げに行くしかない)ですね。
 多少なりとも体がちょっと残ってたら(上半身が回り切っていなかったら)、相手が後ろに重心を残したなと思ったら、こういうふうにして(足を払いながら相手を押すようにして)、あちらに投げる。私の場合だと、このパターン。このパターン。そして、このパターン。3パターンぐらいできる。

稲見 この差が大きな差になってくるわけですね。

野村 そうですね。こういうのはコーチから教わるものでもなかったし、トップに行く人たちは、そういう感覚が練習の中で自然と備わってくる。逆に、そういう理論があるんだよ、こういうデータがあるんだよってなったときに、それを考えてできる人と、考えてもできない人がいたりとか。

無意識を教えられるか

稲見 多分私は、いくら理屈や、こうすればいいという知識を教えられても、自分の体をそう動かせる自信が全くないです。知ってたら動くんだったらば、みんな、スポーツ選手になれちゃう。決してそれだけじゃないものがたくさんあると思うんです。
 一方で、例えば上半身の動かし方が違うと分かったとして、それってトレーニング可能なんですか、一般の大学生に。

野村 どうなんでしょう。頭でわかっていたとしても、そのわずかな差を自分の意識の中で練習できるかっていったら、なかなか難しいかもしれないですね。

稲見 そうですよね。だって、フェイントという技があることが分かっていても引っ掛かっちゃうからフェイントですし。手品だって魔術でも何でもなくて、種も仕掛けもあると分かっていても、だまされますよね。

野村 前に投げる技が背負い投げ、同じようなモーションで後ろに行くのが小内刈りなんですけど、そのフェイントは、最後の最後まで相手に背負い投げをかけられてるって意識があるから、その逆に後ろに投げる小内刈りが効くわけです。「小内刈り、行くぞ」っていう意識で背負い投げに入っても、絶対、小内刈りはできない。
 うーん、その瞬間のコントロールですよね。そういう緻密な動きって、正直、教えられていないし、教えたからといってできるわけでもない。
 それが、基本練習とか相手と組み合っての実践練習をする中で自然とできる、自然と身に付く選手だけが、トップに生き残っていける世界かもしれないです。

稲見 こういう高度なフェイントの掛け合いは、相手も高度じゃないと練習にならないわけですよね? そういう相手と練習できるようになるには、そもそも既にトップじゃなくちゃいけないという。

野村 ただ、ある程度、実力差があれば「相手をこの技で投げてやろう」って意識を持ちながらでも投げれるんですね。だから、初めは弱い相手に対して、背負い投げに行くふりをして相手が警戒したときに小内刈りに切り返そうっていう意識を持ちながら、繰り返し繰り返しやっていく。その中で、背負い投げと小内刈りの切り替えの速度をだんだん速くしていく感じで、精度を上げていくことは可能かもしれないです。

技のレベルは階層的

稲見 IPAの「未踏」っていう国のプロジェクトで、学生が提案した情報系のプロジェクトに私が色々とアドバイスしているんですが、最近、だいぶスポーツ系の提案が多くて、モーターとかVRとか使いながら筋トレを効率化したりとか、野球の球の見極め方をVRを使ってトレーニングしたりとか。
 最近では、フィギュアスケート選手が、自分がジャンプしているシーンを見ながらジャンプをトレーニングできないかみたいなアイデアを、フィギュア選手の学生がやっているんですけど、その学生が面白いことを言っていて。うまい技を見ると参考にはなるけれども、うますぎる技を見ても、自分がどうしたらいいか分からない。2段階以上うまいと、例えば羽生結弦さんのジャンプを見ても全く参考にならない。でも、ちょっと上ぐらいだと「あ、こうすればいいのかな」って見えてくる、みたいに言うんです。
 そういう技のレベルの構造ってやっぱりあるんですか?

野村 あると思いますね。自分がイメージできないものは実践もできないし。
 背負い投げっていう技も、基本的な形は一つなんですね。けれども、選手それぞれの身長、体重など体格、また柔道のスタイルによって技への入り方や投げ方が違う。だから正解ってないですよね。
 最初は基本の練習をするけども、ちょっとずつ時間をかけて、技を覚えながら自分のベストな形をつくる。さらにその上で、相手の体形とか動きも含めた中でのベストをつくっていく。だから、最初のベーシックな背負い投げと、その人がつくり上げたオリジナルの背負い投げって全然違ったりするんですね。
 やっぱり相手がいて変化がある中で、理想どおりの背負い投げなんかできないです。タイミングとかスピードとかで補ったり。あとは背負い投げで相手を投げるときに4カ所、絶対決めなきゃいけないポイントがあるときに、やっぱり2カ所決めてるだけじゃ決まんない。4カ所決めたいけど、3カ所を、例えば右手の使い方、左手の使い方でしっかり決めていけば、あとはタイミングであったり、スピードであったりでフォローできるとか。

稲見 そういう意味で、世界一になられるぐらいの方であっても、100%、思いどおりに行くことは。

野村 まれですね。世界のトップで、本当にオリンピックの上位を争うような選手とやるときには、「この技で投げてやろう」っていう意識の下で投げれることはほとんどないですね。やっぱり組んでる腕を通して相手に全て伝わっちゃうので。

全てを感じながら崩す

適切なタイミングで技をかけるには、相手の動きや意図を正確に把握し続ける必要があります。トップ選手は、どのような仕組みで刻々と変化する状況を知覚しているのでしょうか。

稲見 そこにすごい興味があって、ぜひ伺いたいんですが……。
 とある研究者から聞いた話で、ある国からVIPが来たときに、せっかくだから有名な二足歩行ロボットと握手させないかと、偉い人に言われたらしいんです。で、最初は握手なんて簡単だと思って、くっと握られたら手を振るようなプログラムを書いたらしいんですね。そうしたらば、何かものすごい強引な感じがしたと。
 「そうか。勝手に手を動かしちゃいけないんだ」ということで、今度は関節を柔らかくして、相手が動かしたらそれについていくようにした。そしたら今度は、めちゃくちゃやる気がない感じがしてしまう。
 そこでようやく「握手、こんなに難しかったっけ」って気が付いたみたいで。さらに政治家の握手とかを見ると、速く握手するタイプとゆっくり握手するタイプがあったり。

野村 そうですね。日本人と海外の方じゃ、くっと握る力強さも違う。

稲見 …というくらい、エンジニアがナイーブに考える以上に握手には意味があって、触覚を介して本当に相手の気持ちとか、考え方とかが伝わるところもあるかもしれない。
 一方で柔道で組んだときも、相手がめちゃくちゃ強いとか、考えてることが伝わる、まさにテレパシーのように伝わってくるとしたら、その感じ方をぜひ教えていただきたいんです。

野村 握手したときに相手の握手に合わせることができるじゃないですか。ってことは、相手の握手を外すこともできると思うんですね。相手と違う握手をすることもできるし。結局、相手の体温もそうだし、握る強さもそうだし、こうやって振る動きもそうだし、それを全て手のひらから感じられる。離すタイミングも含めて。
 柔道においては、「釣り手」(右利きの人は右手)っていうんですけど、相手の胸をつかむ方の手は、私の場合は常にここ(相手の首元)を離れないんです。これで、相手がこういうふうに動いたとか、私がこの手でこう振ったときに、相手がどう反応するかっていうのがわかる。

釣り手でつかむ位置

稲見 服をつかむだけじゃなくて、相手の胸に接触する感じ?

野村 そうです。自分は相手との接触面をつくるために、なるべくくっと、自分の拳を相手の胸の鎖骨あたりに当てるようにしてるんです。
 自分は力、そんなに強くないんです。例えばベンチプレスとか、ああいうパワー系のやつはすごい弱いんですけど、柔道のときは自分の拳を相手の胸に当てながら、自分の体重をぐっと乗せることによって相手に圧力をかける。相手が負けじとこう出てきたら、ぱっと引いたりする。
 これで相手のバランスを崩したりとか、そういうのがテクニックであるんですよね。結局、組んで相手の動きを察知する。相手のバランスを崩す。相手の全てをこちらで感じるのに一番長けてると思うんです。

稲見 握手と同じで双方向なので、逆に相手に伝わってしまう可能性もあるわけじゃないですか。そこは何か工夫されてらっしゃるんですか。

野村 こっち(釣り手)は相手をコントロールするための腕で、相手も同じようにしようとするのを、私はなるべくここに当てさせたくないから、手首をこう返して、相手の手はなるべく離れるようにする。組み手争いっていって、柔道を見てたら、特に軽量級ってなかなか組まないじゃないですか。

稲見 そういうことなんですね。ようやく柔道の見方が分かった気がします。

野村 大げさじゃなく、自分でよく言うんですけど、ここ(首寄り)を組むのと、ここ(胸寄り)を組むのって全然違うんです。

首寄り(左)の方が胸寄り(右)よりいい

稲見 どっちがいいんですか。

野村 やっぱり自分の場合、ここ(首寄り)がいいんですよ。鎖骨に近いところ。首に近いからこそ、こういう(縦方向の)動きによって、相手の首、つまり頭も動かしやすいんです。ってことは、相手のバランスが崩れるってことなんです。

縦の動きで相手の頭を動かす

野村 ここ(胸寄り)を組んでたら、引っ張ってもなかなか相手の首は揺れない。相手の首を揺らすためには、なるべく高いところっていうのがあって。だから逆に、相手には取らせたくない。だからみんな、なかなか組まないってことですね。

目で見なくても十分

野村 選手を引退してキャスターを始めたときに、オリンピックだけじゃなくてパラリンピックの柔道を取材したことがあって。基本的にパラリンピックの選手は全盲や弱視といった視覚障害者なんですが、自分らも体験しようってことでゴーグルに黒い幕を張って、全く見えない状態でやった。それでも全然できるんです。組むことによって相手の全てを察知できるからこそですね。
 もちろん視覚はすごい武器ではあるけども、視覚がなくても柔道できるって、こういうことなんだと思って。相手が技を、例えば足を払ってきても、自分は普通にぱっとすかして払い返すとかできるんです。取材してるテレビの人はびっくりしてはるんですけど。

稲見 ここ(つかんだ相手の襟)から足の動きが伝わってくる?

野村 そうですね、組むことによって。パラリンピックは、組み手争いはなしで、組んだとこからスタートなんです。より両手を組めるから相手の動きを感じやすい。
 相手が足を払おうとしたときには肩が動いたり腰が動いたり、この技はこういう動きって大体分かるんですよね。あまりにもそれに意識が行き過ぎたら、先ほど言ったフェイントで、違う形でやられたりするから、ぎりぎりの判断ではあるんですけど。

稲見 ボクシングだと視線が大切みたいな言い方も聞くんですが、野村さんが目隠しをしても分かるのに対して、相手が目隠しをしてると予測しにくくなったりするんですか。それとも組めば、もう大丈夫なんですか。それで全身が見えるというか……。

野村 組めば大丈夫ですね。見えるより、感じるって言った方がいいかもしれないですね。
 「試合のとき、どこ見てますか」って言われても、意識して何かを見るってことは、よくよく考えるとないんですね。例えば組んでるとき、相手の目を見る、相手の胸を見る、相手の足元を見るっていう、どこか1カ所に視線を送るってことはないですね。
 相手と組み合うんで近い距離にはいるんですけど、「そう言われたら、俺どこ見てるか分かんないな」ってぐらいなんですよ。もう体全体なのか、視野の全体なのか、ぼんやり全体を見てる感覚です。

触覚は自在化の要

稲見 ちょっととんちんかんな質問かもしれないですけど、もし相手のどこでも触っていいと言われた場合、どこを触ると一番分かりやすいですか。やはり鎖骨ですか。

野村 そうですね。この胸のあたりですね。

稲見 となると将来、人のそこら辺をうまくつかんで刺激を与えるものをつくると、ある人の行動を予測したり、場合によってはコントロールするシステムができるかもしれないですね。

野村 ですね。ただ、片手じゃきついですね。もし自分が稲見先生と組むってなったときには、稲見先生の左胸を私がつかむ。稲見先生の右手を私が左手でつかむ。この2本がないとダメですね。

稲見 それをやって、ようやくですか。じゃ、もう少しセンシングが必要な感じですね。
 ちょっと自在化の話をさせていただくと、自在化では触覚がすごく大事なんですね。なぜ大切かというと、触覚というチャンネルは、視覚とは違って、聴覚に近いんです。別のことに意識を集中しながらも感じられて、しかもそれに合わせて体を動かしたりもできる。つまり「ながら作業」ができるのが触覚のいいところで。
 例えば、車の運転に慣れてくると自分の身体のように操れるのは、路面のフィーリングとかが、ハンドルからちゃんと入ってくるからです。ハンドルは人が車の進行方向をコントロールするためだけではなくて、路面の状態地地面を知るための装置と捉えることができる。
 今こうやって椅子に座っていても、お尻で感じている圧力とかを頭の中で無意識のうちに認識しながら、結果的に姿勢をコントロールしてますし、立ってるときもそうなんです。ただ、お尻のことなんて全然意識してないですよね。
 第3、第4の腕を足で動かすっていう我々の研究にも、実は触覚が入ってるんです。第3の腕で何かをぐっと握ったとき、操作している足の指にすっと触覚が入るようにしてあげるとユーザーの上達が早い。
 6本目の指でもちょっと工夫していて、ユーザーが前腕部にぐっと力を入れると6本目の指がぐっと曲がるだけではダメで、曲がったときのフィードバックが大切なんですね。実は第6の指の曲がる角度によって、ユーザーの小指の脇をピンで刺激している、つまり触覚があるんです。それによって、ユーザーは目をつぶっていても、どれだけ指が曲がったかを意識できる。それがあるだけで自分の身体とつながってる感じが出てくる。
 今のコンピュータは大抵、視覚と聴覚しか扱っていないんですけれども、身体性を考えると、やっぱり触覚ってものすごい大切なんじゃないか。今までのお話から、あらためてそう感じました。ある意味、柔道は触覚の競技であるともいえるわけですね。触覚コミュニケーションとそれによる予測とフェイントまで入った競技という。

野村 はい。柔道は、対人競技の中でもボクシングとかと違って、組み合って相手のことを感じる、動きもメンタル的なところも含めて、感じていける競技ですね。

最後の砦はメンタル

稲見 何か(相手と)仲良くなれそうな気がしますね(笑)。相手の性格とか見えてきたりするんですか?

野村 うーん、相手の前に出る姿勢とか、やっぱり守りたい、弱気になってるところとかは如実に感じますね。
 それを感じさせないのがトップ選手なんですけど、トップ選手でも例えばオリンピックの決勝とかで自分がリードして残り1分ってなったときに、そのリードを守りきって勝ちたいってなったら、急に表情も柔道も全て弱い方に逃げていくんですね。それで逆転負けした選手を見たことも何度もありますし。

稲見 読みながらも読まれないようにする。しかも、触覚的につながっていても、悟られないようにするっていうのはすごい。

野村 だから、結構競り合った試合では、心のスタミナというか、フィジカルだけじゃなくてメンタルのスタミナの消耗って、すごい激しいですね。

稲見 それはものすごい考えるか、考えないで行動するか、どちらなんですか。考えるってこと自体が、ちょっと変な言い方、そぐわない言葉かもしれないですが。

野村 実力が拮抗した相手との対戦では、試合終盤になると戦術云々ではなく、本能と感覚で戦っている方が多いです。ただ、何て言うのかな、体力の消耗がメンタルにすごい影響してくるんです。
 本当に大げさじゃなく、もうスタミナがなくなってきて、きつい、きつい、きついってなったら、「投げられて負けた方が楽になれる」とか、弱気な自分が顔を出したりすることもあります。

きつすぎて弱気になることも

野村 だけど現実ね、それで投げられたときの後悔も分かってるから、「あかん、ここ、踏ん張らなきゃいけない」ってなって、やっぱり強い気持ちに切り替えて、もう無理してでも前に出る、攻撃的に行くっていうね。そういうシーンって何度もありましたね。

稲見 どうやって切り替えるんですか。

野村 えー、もう切り替えるしかないです。切り替えられなかったら、負けしかないっていう現実があって。負けることによって自分の後悔と、柔道選手としての評価とか、今後のオリンピック代表も含めた全ての評価につながるから。「妥協したい、もう妥協した方が楽になる。けどダメだ」って、踏ん張りどころですね。大げさな話、自分の人生が懸かってることもあるんで、勝負によっては。

第2話に続く)

自在化身体セミナー スピーカー情報

ゲスト: 野村忠宏|《のむらただひろ》
柔道家・株式会社Nextend 代表取締役

柔道男子60kg級でアトランタオリンピック、シドニーオリンピック、アテネオリンピックで柔道史上初、また全競技を通じてアジア人初となるオリンピック3連覇を達成。2013年に弘前大学大学院で医学博士号を取得。2015年に40歳で現役引退後は、自身がプロデュースする柔道教室「野村道場」を開催する等、国内外にて柔道の普及活動を展開。また、テレビでのキャスターやコメンテーターとしても活躍。自身の柔道経験を元に講演活動も多数行い、全国を飛び回っている。

ホスト: 稲見 昌彦|《いなみまさひこ》
東京大学先端科学技術研究センター
身体情報学分野 教授

(Photo:Daisuke Uriu)

東京大学先端科学技術研究センター 身体情報学分野教授。博士(工学)。JST ERATO稲見自在化身体プロジェクト 研究総括。自在化技術、人間拡張工学、エンタテインメント工学に興味を持つ。米TIME誌Coolest Invention of the Year、文部科学大臣表彰若手科学者賞などを受賞。超人スポーツ協会代表理事、日本バーチャルリアリティ学会理事、日本学術会議連携会員等を兼務。著書に『スーパーヒューマン誕生!人間はSFを超える』(NHK出版新書)、『自在化身体論』(NTS出版)他。

「自在化身体セミナー」は、2021年2月に刊行された『自在化身体論』のコンセプトやビジョンに基づき、さらに社会的・学際的な議論を重ねることを目的に開催しています。
『自在化身体論~超感覚・超身体・変身・分身・合体が織りなす人類の未来~』 2021年2月19日発刊/(株)エヌ・ティー・エス/256頁

【概要】

人機一体/自在化身体が造る人類の未来!
ロボットのコンセプト、スペイン風邪終息から100年
…コロナ禍の出口にヒトはテクノロジーと融合してさらなる進化を果たす!!

【目次】

第1章 変身・分身・合体まで
    自在化身体が作る人類の未来 《稲見昌彦》
第2章 身体の束縛から人を開放したい
    コミュニケーションの変革も 《北崎充晃》
第3章 拡張身体の内部表現を通して脳に潜む謎を暴きたい 《宮脇陽一》
第4章 自在化身体は第4世代ロボット 
    神経科学で境界を超える 《ゴウリシャンカー・ガネッシュ》
第5章 今役立つロボットで自在化を促す
    飛び込んでみないと自分はわからない 《岩田浩康》
第6章 バーチャル環境を活用した身体自在化とその限界を探る        《杉本麻樹》
第7章 柔軟な人間と機械との融合 《笠原俊一》
第8章 情報的身体変工としての自在化技術
    美的価値と社会的倫理観の醸成に向けて 《瓜生大輔》