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世界大戦の時代へ!エクストリーム日本史近代史編

中田敦彦のYouTube大学を観て、うわ〜めちゃめちゃ面白いなーて満足感に浸るも、思ったほど内容を理解できていない…
かといってもう一度動画を見直す時間もなかなか取れない…(どんどん新しい動画がupされていくから次の動画観たいし‼︎)

そのような思いから動画内容を更に要約し、ピンポイントで動画を見直せるよう項目ごとに再生時間の目安をまとめました😆

今回の動画では、6つのカテゴリー・人物に焦点を当てて構成されていました👇

《人物》
①西南戦争・西郷隆盛
②伊藤博文
③藩閥政治・政党政治・大隈重信
④日清戦争・日露戦争
⑤第一次世界大戦
⑥4連発恐慌

【各場面の視聴目安時間】
※番号は上記とリンク
○全動画時間→18分01秒
①→0分00秒から
②→2分55秒から 
③→5分40秒から
④→9分30秒から
⑤→13分20秒から
⑥→15分50秒から

《西南戦争戦争・西郷隆盛の物語(前回の続き)》 ※前回の話はこちら武士達からの不満は続々と西郷に寄せられ武士達と明治政府との溝を埋める為に様々な策を考えるも思い通りに進まず、西郷は明治政府軍と決別し、西南戦争に至ります。しかし、最新の武器を持つ明治政府は強く、最後は武士達のトップである西郷が逃走中に怪我を負い自害し決着します。

《伊藤博文の物語》
長州藩であり、高杉晋作らと共に吉田松陰の弟子であった伊藤博文は、憲法の勉強のためヨーロッパに発ちます。そうして日本には君主権の強い、ドイツ式の憲法が合うとして、天皇が付与する法治国家を目指すことにしました。
それは不平等条約の改正(日米修好通商条約)を目的としており、まずは法治国家にする事で列強に認めてもらうことが必須でした。

《藩閥政治・政党政治・大隈重信》
薩長派閥の争いが続くなか、そこに反発しても最新武器を持つ者には敵わない…今までの争いから学んだ者達が武力で世を変えるという動きから内部から変えていこうという政党政治に変わっていきました。
 近代国家にする為に法治国家にし、憲法(大日本帝国憲法)を作るのだから選挙の仕組みも新しくしようという流れまでは良かったのですが、そこから政党政治の悪い部分が表面化します。
それは、「政党同士の争いが絶えない」+「人気取りの政策に偏る」ということです。大隈重信ら薩長ではないメンバーが台頭するも繰り返し政党争いが起きていました。また、この頃の有権者のくくりは狭く、国民の有権者というと地元の金持ちが対象でした。その為、我田引鉄という有権者の支持を得る為に有権者に都合の良いように鉄道が引かれていました。

《日清戦争・日露戦争》
ロシアが凍らない港を求めて南下する事に警戒した日本は朝鮮を先に押さえようと思うも、中国がそれに抵抗し、日清戦争が勃発します。(日本のロシア警戒VS中国の支配維持の戦い)
日本はイギリスのバックアップがありこの戦いに勝ちます。(日英同盟)
 続いて起こった日露戦争にも日本はイギリスの力も使いかろうじて勝利します。(ロシア内部では革命が起こっており、ボロボロの状態であったことも日本が勝てた一因)
 この二つの戦いはロシアの南下に対する防衛が目的の戦いでした。また、イギリスはロシアの侵略を止めたいという思いがあり日本に協力したと言われています。そうしてロシアからの防備と領土拡大という目的のもと日韓併合されました。(この恨みからその後、伊藤博文は暗殺されてしまいます…)

《第一次世界大戦》
第一次世界大戦はヨーロッパの戦いでしたが、日清戦争、日露戦争での日英同盟により日本はこの戦争に巻き込まれます。しかし、日本は戦勝国としての参戦に加え、戦地となっておらず商品を各国に売るだけだった為、好景気に突入します。

《4連発恐慌》
第一次世界大戦が終わり、日本は4連発の恐慌に襲われます。まず初めに戦後恐慌が訪れます。第一次世界大戦が終わった為、徐々にヨーロッパの商品がアジアに戻ってきたため貿易が捗らなくなった事で恐慌に陥ります。
 そんな中、関東大震災が発生し、関東は大壊滅状態になります。(震災恐慌)しかし、恐慌はこれで終わりません。財務大臣の失言等で金融恐慌までもが日本を襲います。そして最後に世界大恐慌が日本にも派生し、日本にとってとどめの一撃といえる昭和恐慌が訪れます。(この続きは次回に続きます…)

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