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株式投資の幸福論〜勤勉な労働と質素な生活でFIREを目指す若き投資家に捧ぐ

個人投資家は誰も皆、幸せになるために株式投資をする。※関連記事:株式投資の幸福論7

株式投資をすることで、自分をポジティブ感情(喜び)で満たし、自分のパフォーマンス(資産運用力=自分の持つお金を増やす力)を増大させ、幸せになることを望んでいる。※関連記事:株式投資の幸福論1

なのに、株式投資で幸せを感じない投資家〜不幸になる投資家が後を絶たない。株式投資は敗者のゲーム。勝てないことが前提であるにも関わらず投資家達は挑み続けてしまう。※関連記事:株式投資の幸福論6

成功者と呼ばれる投資家もいるが、彼らの理論やテクニックも必勝法ではない。彼らだって必ず勝てるわけではないのだ。※関連記事:株式投資の幸福論3

成功者の理論やテクニックを学んでも彼らの真似をしても、株式投資で成功出来ないし決して幸せにはなれない。※関連記事:株式投資の幸福論4

幸せになるための株式投資で不幸になってしまうのは「自己欺瞞」「自己没頭」のせいだ。※関連記事:株式投資の幸福論7

おいしい話なんてそうそうあるはずもない。

株をやれば皆が億万長者、皆がFIRE、そんなわけはない。

もしかして、我々個人投資家は市場においては、単なるカモ(金ズル)に過ぎないのだろうか?

もしかして、株式投資で幸せになるなんてことは単なる幻想なのではないだろうか?


株式投資で幸せになるために、株式投資を哲学する。

株式投資の幸福論


株式投資の幸福論

今日もまた誰かが、これは良い、あれはダメ、こうしろ、ああしろ、そんなことはやめろ、それは間違いだ、きっと後悔する、等など、あなたの投資、あなたの生き方に、圧力をかけてくる。

もしかしたらその意見は当たっているかもしれないし、それ以前にそもそもあなたには全く才能がないかもしれないので、その意見に従うにせよ従わないにせよあなたの判断は間違いを犯す、かもしれない。 

しかし、もし間違ったとしても気にすることはない。

何故なら、そんなことは遅かれ早かれあなた自身が自覚することだから、結果が出る前に気にしていても仕方がない。

やる前から気にしていても気にするだけ無駄、あなた自身がやってみなければ何も始まらないし、それが善いか悪いかなんてあなた以外には誰にもわからないのだ。

仮に、何度間違えたとしても、何度も挫折したとしても、またチャレンジすることができるのだから、他人の意見であなたが決めたこと、あなたの判断、あなたの意思、あなたの夢、希望、人生を放棄すべきではない。

誰かを気にしてばかり、誰かの意見に左右されてばかり、誰かと比べ合ってばかりいるうちは、あなたの精神はいつになっても不自由のままだ。

人の目を気にして無難に生きていくことは人生を虚しくする。

挑戦を避けたまま逃げたり降りたりした奴が、幸せになることはない。

株式投資も同じ。そもそも参加(投資)していなければ今以上幸せにはなれないし今よりも不幸になる可能性だってあるのだ。

自分の心に正直に思いのままチャレンジする、チャレンジし続ける、それが、後悔しない生き方、幸せになる生き方だ。

人から与えられた喜びはすぐに消えてしまう。
人から与えらる幸福はこの世に存在しない。

あなたの生き方というのは(あなたの株式投資も)、親や知り合いや見知らぬ誰かの意向で決まるものではない。

あなた自身の衝動によって生きる道が切り開かれていく、そういう経験が幸福には必要不可なものなのだ。

幸福をもたらすもの

若き投資家の多くは、FIRE(経済的自立・早期リタイア)を達成しハッピーリタイアすることを目指して株式投資を始める。

そしてその最短ルートを歩もうと、大化けする可能性が高い銘柄や高配当銘柄を見つけるために情報を欲し漁りまくる。

そんな欲望を見透かして様々な情報筋から、魅力的な未来が描かれた地図や魅惑の幸福行きのチケットが次々と差し出される。

が、そんなものは紙切れほどの価値もない。

想像で描かれた地図や行先不明のチケットが幸福をもたらすわけがない。

投資家のあなたに幸福をもたらすもの、それは、 

1,仕事
2,私心のない興味
3,努力とあきらめ 

である。

1,あなたに幸福をもたらすもの「仕事」

幸福な人生を手にする為には人生の目的が首尾一貫していることが望まれる。

その首尾一貫した人生の目的に至る手段は「仕事」であることが理想だ。

FIREを目指す投資家にとっては株式投資が人生の目的に至る手段の一つであると言えよう。

けれども、FIRE達成が人生の目的はではない。

 FIRE達成後も人生は在る。

むしろFIRE後の方が長く続く人生の本番だ。

ゆえに、人生の目的は投資ではなく仕事において具現化することを目指すべきである。

歳をとっても昼夜問わず、マニアックに技術を追求できる仕事、目的に突き進んでいける仕事、これは自分がやったんだと誇れる仕事、そんな仕事に出会える人、そんな仕事を持てる人、あるいはそういった働き方ができる人は幸せである。

無論、人によっては投資そのものが仕事なる(仕事にできる)可能性もあるだろう。

但し、仕事はあくまでも手段。それ自体が目的となっては本末転倒だ。

それと、何より大切なのは、他の人の畑を耕してはいけない、ということ。

不得意なやらされ仕事や報われない雇われ仕事では、決して幸せになることは出来ないのだ。

あなたが幸せになるためには、あなたは自分の畑だけを耕すこと、あなたの畑を見つけ手に入れることである。

2,あなたに幸福をもたらすもの「私心のない興味」

私心とは、自分の利益ばかりを考える心。

無論、投資家において投資は私心でやるものに他ならない。

投資家は四六時中私心まみれで生きている。

だから投資(家)は幸せを感じにくく幸せになりにくいと言える。

そんな投資家ならなおのこと、私心のない興味にもっと興味を示すべきだ。

 私心のない、純粋無垢な心から湧き上がる興味は、気晴らしにもなるし人生におけるバランス感覚を保つのにも役に立つ。

せっかくこの世に生をうけ、高度に知的な人間として生きているのに、世の中の不思議や面白い色々や様々を知ろうとしないのはもったいない。

自分の職業、自分の仕事、自分の家族、親戚、友人、知人など、あなたの周辺環境や人間関係は、世の中のほんの一部に過ぎない。

もっと視野を広げ、広くいろんなことに興味を持ち、人生のバランス感覚を保つべきだ。

それに、私心のない興味は、一つのことばかり考え込んでしまうという「自己没頭の泥沼」から救ってくれるし、悲しみをも癒してくれる。

投資家にとって株式市場の暴落は大きな悲しみの一つだが、人生における悲しみは、そんなものではないしそれ以外にも沢山ある。

それは誰であろうと避けがたく常に覚悟しておかなければならないことであるが、人間は、それら悲しみの感情も、自分の意思と理性によって違う新しいチャンネルに切り替えることが出来る。

悲しみを癒すために、アルコールやドラッグで思考を麻痺させることは合理的ではない。

損得もない、競争もない、やっているだけで楽しい、私心のない趣味、娯楽、もしくは仕事など、興味の幅を広げることをしておけば、悲しみを避けることや悲しみ自体を小さくするために自分の思考を常に新しいチャンネルに切り替えることが可能になるのだ。

それは、ランダムウォークする不確実で未来が見えない株式市場においても、いつ何が起ころうが巧く投資できるようになれるということにもつながる。

いつも冷静にバランスよく投資していくためにも、心に余裕があるうちに興味の幅を広げておくことだ。

3.あなたを幸福をもたらすもの「努力とあきらめ」

幸福というのは偶然や幸運(ラッキー)で得られるものではない。

幸福を獲得するには自分自身で努力することが必要だ。

しかし、ただ努力だけしていれば幸せになれるものでもない。

諦めも幸福の獲得において大切な役割を果たすときがある。

本当に賢い人間は、自分の不幸を自分で防ぎ、尚且つ、自分の力ではどうすることもできない不幸に貴重な時間と感情を浪費しないよう努めるものだ。

諦めには2種類ある。

・絶望に根差す諦め(悪い諦め)
・不屈の希望に根差す諦め(善い諦め)

自分の活動がうまくいかなかろうが挫折しようが、そのチャレンジは決して無駄じゃない。良い経験になった、良い教訓になった、良い思い出になった、この結果は将来プラスになる、そういった希望に根ざした諦めは善い良い諦めであって、敗北でもなんでもない。

己の真実の姿に向き合い人生を歩んでいこうとする人間の中には、必ず諦めがあるものだ。

無論、こういった生き方は苦痛を伴う。投資における諦めの苦痛も辛く厳しいものだ。

しかし、自分に嘘をつき、自分を騙しながら生きたとするならば、他人の意見や他者がもたらす情報や群集心理に惑わされ流され投資運用したとするならば、その先にあるのは失望と幻滅でしかない。

それを唯一防ぐ手段、それこそが希望に根ざした諦めなのだ。

毎日毎日自分を騙しながら生きる努力ほど疲れるものはない。

毎日毎日他者の情報を漁る努力ほど無駄なものはない。

まずはこうした努力を捨て去ること。

それこそが、確かなそして永続的な幸福を獲得する上で不可欠な条件となる。

幸福になるために

幸せを人に依存することなく、自分でつくり自分の行動によって生み出す、そういう時間の使い方、過ごし方、そして投資の仕方をしていれば、きっとあなたは幸せになれる。

しかし人間は、判断を誤ったり心配したり絶望したりすると、自分で意気消沈するような言葉を自分自身や他人に魔でも投げつけ、怒りや悲しみを態度や行動で表してしまうことがある。

不安や恐怖や悲しみなどネガティブな感情こそが、人を不幸に陥れる最大の敵であることは自明の理。

そして、ネガティブな感情を言葉や態度や表情で表すことで、それは増幅し情念と化す。

情念とは、もはや理性では抑えられない感情。

情念には人間の想像力(〜かもしれない、〜たらどうしよう、)を掻き立てるという厄介な特徴があり、且つ、他人に伝染する。

 最大の敵は自分自身である。

ネガティブ感情を増幅させ情念化しているのは、他の誰かではなく自分自身でやってしまっていることだ。

どんな時にも、明るく振る舞い、明るさ・希望を表せ。

無理してでも明るさを発することで、あなた自身もそして周りも明るくなれるし希望が持てるようになり幸せの方へと瞬時に向きを変えることが出来るのだ。

それと、他人の幸福や社会の幸福を考えることも大事なことだが、一番大事なのは自分自身が幸せになることだ。

それこそが自分にとっても相手にとっても社会にとっても、最善なことなのだ。

不幸な人、ネガティブな情念に囚われている人が他人を幸福にすることなどできない。まして社会を幸せに変えることなど出来ない。

何よりもまずあなた自身が幸せになること、これは幸せになるための義務である。

溺れている人は溺れている人を救えない。

お金のない人がお金のない人を経済的に救えない。

あなたはあなた自身を幸せにする義務がある。

投資家も幸せになることが義務である。

幸せになることはあなたの権利であり義務である。


幸せになるために私たちは生まれそして生きている。



(了)



【参考文献】スピノザ「エチカ」アラン「幸福論」ラッセル「幸福論」


 

 

 

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