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【哲学の饗宴】 書評#58

みなさん、いつもお世話になっております!
本日は、私の投稿の軸とする一つ「本」「読書」に関して書かせていただきます。

自己紹介に書いたマイルールを守りながら、私の大好きな本について書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします!

※書影(画像)は、版元ドットコム様から頂戴しています。いつも、ありがとうございます!


基本情報

荻野弘之(著)
NHK出版 出版
2003年2月15日 第1刷発行

全283ページ
読書所要期間9日

私が本書に出会うきっかけ

出会いはなんだろうか。
思い出せない。

ただ、以前ニーチェの本について書いた。

こちらは、今のことろ私の本に関する投稿の中で最もレビュー数をいただいている。
この場をお借りして、お礼申し上げたい。

おそらくは、この一連で購入したと思われる。
哲学といえば、まずはこの三人を押さえておかねば!
といった感じだろう。

副題的に、古代ギリシャ哲学の哲人3名の名前が一気に書かれていた。
だから、この3名について一気に学べるだろうといった打算が働いているとも考えられる。
この点については、予想通りの結果を得られるのだが、一方で、結構ムズい・・・汗

この本の本質・言いたいこと

彼らが築き上げてきた哲学の歴史みたいなものを確認し、身近な現代の出来事と照らし合わせていくこと。
それを踏まえて、「哲学とは何か?」を明らかにしていく。

著者は、彼らが残してきた独特で印象深い言葉を「古代の豊かな言語遺産」と表現している。
これを紹介するものとなるだろう。

私が感じたこと

1点目 〜「無知の知」の問題点(ソクラテスのパートから)

P40からこのようなタイトルの項目がある。
「無知の知」

記憶では、高校の倫理かなんかで習った様な記憶がうっすらある・・・
世界史だったか??
まぁ、それさておき・・・

著者は、プラトンが書き残したソクラテス像から考察を展開している。
プラトン以外にも、どうやら実はソクラテスについて残している人物がいるそうなのだ。
知らなかった・・・

例えば、クセノポンやアリストぺネス

今こうしてタイプしていても
「癖のポン」
「アリスとぺネス」
と変換されるくらい、一般的にも、アップルさん的にも(私はいつもMacでこの投稿をしている)馴染みがないのだろうw

著者は、このプラトンからみるソクラテスが示すところの無知の知には、4つの問題点、というよりはその定義を明確化しようと試みている感じを受けた。

私がここで感じたのは、私なりの「無知の知」の解釈。
それは、『飽くなき追求』
ではなかろうかと考えている。

言い換えれば、
「今日の自分を明日超えていく」ために学び続けること

つまりは、
学ぶことを止めないこと = 無知の知
と今のところ考えている。

※哲学に対しては全くの素人なので、浅い見解をここで示すことをお許しいただきたい。

私は、研修の類が大好きである。
参加資格があれば積極的に様々なものに参加するのだが、よく耳にするのは、
「前に1回同じ様なことを聞いたことがある」
的なこと。

私は思う。
1回聞いただけで、
全て覚えているのか?
理解できているのか?
そこに新たな知識・学びを得る機会がある可能性を見出すことができないのか?
参加しないで、なぜそれがわかるのか?
仮にその内容がわかっていたとして、「わかり続ける」ための努力が必要ではないのか?

これらの状態は、著者の言葉を借りれば
『無知の無知』
なのではないだろうか。

2点目 〜快楽主義(プラトンのパート)

プラトン、そして著者がものすごい一言を投げかけている。

現代の日本人のうち(自分だけの)「快適な暮らし」以外の価値や理想を持って(しかも本音で)生きている者がどれほどいるだろうか。

本書P121

P118からP121にかけて、このプラトンが示す快楽主義の帰結を展開している。
ここを読み、自分に照らし合わせる限り、
「いない」「存在しない」
と言わざるを得ないのではと私は感じているところである。

・世のためにするボランティア
・陰で人を助けようとする行動

これらですら、つまるところ自分のためなのだ。
こうした行動をとって、自分が満足するという結果にしかならないのだ。

だから悪いという訳では全くないし、だからといって人を傷つけても迷惑をかけても良いと言うことにもならない。

「幸せとは何か?」
これを考える上で、重大なヒントを指し示してくれたと感じている。

3点目 〜スコレー(アリストテレスのパート)

「スコレー」とは、「生活の余裕」と言う意味だそうだ。
「スコラ哲学」のスコラや、英語のスクールの語源である。

「暇」と訳されることが多い様であるが、本来はもっと積極的な意味合い、つまりは、ただの暇な時間ではなく、自分のために自ら目標を持って実現していくために必要な時間だと著者は指摘している。

ちなみに、これがないことが「奴隷の本質」であると書かれていた。
必ずしも、身体的な苦痛を受けていない奴隷も多いというのが著者の分析である。

おそらくアリストテレスは、
経験し、知識を蓄え、これをもとに技術を身につける
という一連のプロセスの重要性を指摘しているのではないだろうか。

「時間的な余裕」よりも「生活の余裕」を作る。

これが人生における”豊かさ”なのかもしれないと感じた。

むすびに

古代ギリシャ哲学の哲人3名を一気にわかりやすく学ぶためには、とても良い本だと思っている。
個人的には、3名を一気に簡単に学んだ中では、アリストテレスが一番興味深かった。
プラトンの「饗宴」は手元にある(積読されている)が、次はアリストテレスだな!と思っている。


以上です。

哲学ってすごいですね!
理屈をこねくり回して小難しく考えることを揶揄して「哲学的」と言ったりしますが、それだと哲学やこれを築いてきた人々に失礼だなと感じます汗

でもやはり難しい・・・
まだまだ勉強が必要だなぁと痛感します。
まぁまぁ読む日数もかかりましたし・・・

本日も、誠にありがとうございました!

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