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島暮らし -1.0

移住後半年を経てようやく備忘録に着手

2017年夏、我が家ではしまなみ海道に住むということが突然決定された。 ※後述するが、移住という言葉はあまり好きではないが、この文中で度々使用される。便利だから。。。

移住場所の選定にあたり、夫は常々島が良いと言っていた。私はてっきり海外か、沖縄あたりと思っていたので「西表とか?」というと「お互い親も年だし瀬戸内海やろ」と現実的な答えが帰ってきた。ちなみに夫の実家は兵庫、私は高知である。

であれば、橋が繋がっていて西寄りの海が良いであろうと自ずと候補は、しまなみ海道にしぼられた。なぜ西寄りかというと、黒潮育ちの私にとって青々とした海はお腹いっぱいで、なんとなく西寄りの方が海の色が明るい気がしたから。そしてネットをちょっと検索すると、大三島という名前が出てきた。どうやらワイン造りも始められていて、コーヒーの焙煎所もあり、リモンチェッロも作っているらしい。私の生活に欠かせない、酒、コーヒーが揃っている。

結果的には、大三島より二つ今治寄りの大島に土地を買うこととなった。これはもうご縁としか言いようがない。大三島にはよく動いてくれる不動産屋さんがいなかった。大島では、海目の前の土地をささっと紹介してもらえた。

「地方で家を探すには住んでみて人間関係を作ってからじゃないとダメだよ」、というアドバイスをよくいただいた。これは真理だと思う。でも、それじゃ今の田舎のあり方は変わらないと強く思う。都会で家を探す気軽さと同様に、今住みたいって思うスピード感に合わせて直ぐに用意できなければ、田舎に住むハードルは下がらない(結果的に我が家は家が建たないのでしばらく借家暮らしとなるのだけれど)。

「よく東京を離れる決心がついたね」

なぜ東京を離れる決心がついたか、このことは家族や友人だけでなく、島の人にも一度は聞かれることである。結論からいうとさほどの決心はしていない。以前はメーカーに勤めていたので、鶴の一声で日本各地・海外に引越しを余儀無くされる人をたくさん見ていた。それに比べると、我が家の場合は、「自分たちの意思で」「住む場所も選べて」「タイミングも子供の入学に合わせられて」と好条件極まりない。加えて、私自身が中学卒業後、高校、大学、進学、結婚、転職、出産と、それまでの11回の引越しを経験していた。むしろ東京に家を買うときが一番のストレスで、「これで人生が固定されてしまう」という不安を覚えた。そこで、絶対に売れる家というのを念頭に好立地、広ターゲット(シングルインカム、ダブルインカム双方に受けが良い)、無難な家を買ったのだった。

度重なる引越しは、私にいくつかの自信を与えてくれた。その最たるものは「友達との関係」だ。高校の友達、大学の友達、会社での友達、飲み仲間、そして今度はキャンプ仲間も。数年の時を経て再開しても、いつも同じ心地良さで迎えてもらえる。それに今はSNSもあって、香港、アメリカ、インドネシア、フランスに住む友達とリアルタイムなチャットも楽しめる。ましてや国内、時差がない。今、数ヶ月に一度会ってヤイヤイ言って飲んでる仲間は、それが半年に一度、一年に一度になっても、きっと仲間なんだと思う。

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もう一つは、「どんな場所でも慣れる」ということ。以前、私たち夫婦は二年ほどアメリカに住んだ。そのころ一切の英語と縁がなかった私は、4ヶ月英会話に通い、ネットで仕事を探し、夫と同等の収入を得るまでになっていた(ここ重要!)。アメリカなんて、超都心に住まない限りどこに行くにも車だし、自然は直ぐそばにあるし、経済規模と人口以外は日本の田舎と条件はそう変わらないのでは、とも思っている(まぁ、経済規模と人口こそが大事なんだろうという話もあるけど)。

という訳で、どこに住んでも大丈夫と思っていた私は、「移住」という言葉が多くの人に与える別世界に行く感や、現日常との断絶感から自由だった。

少しネガティブな話をすると、子供が生まれてから東京暮らしに心がカサカサとすることがあった。なぜ駅前の銀行に自転車で行くと、撤去シールが貼られるのか。なぜ、小さな子連れで階段を歩いているのに、横を駆け抜ける人がいるのか。なぜ、横断歩道なのに優先じゃないのか。

そんなこんなで、さしたる覚悟もなく東京を離れて「しまなみ海道に住む」ことになった私は、引越しを目前に急に不安を覚えることとなる。それは少し後のお話。



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