地方移住してもお金持ちにはなれないが、「豊か」にはなるんじゃないかという話。
突然ですが、地方暮らしって、お金持ちにはなれないです。いや、誰もなれると言ってないですが、とにかく夢のような「リゾート地で悠々自適、天国のようにハッピー!」とかではありません。
地方(*愛媛の松山から車で1時間半の市)に暮らして半年ですが、支出は減ったものの、家計管理の仕方を見直して無駄を削ったのが原因で、地方にいることが影響したわけではないようです。
というのも、家賃や教育費は安くなったのですが、車2台持ちの維持費とガソリン代、競合が少ないスーパーの物価、地元の人があれこれ口を出して値上がっていく土地代を加味すると、劇的に出費が減るということがないのです。
普通に地元で働けば最低賃金も安いので、副業をするなら別ですが、収入がいきなり増える保証もない。
それでもやはり!田舎は良いです。なぜなら、お金とは別の『豊かさ』があることには違いない、ということは肌身に感じているからです。
そこで今回は、地方で得られた豊かさ3つを以下にまとめてみました。
①時間の使い方が豊かになる。
実は愛媛県は、通勤時間が日本一短いと言われています。私の勤め先の病院は、自転車で10分。周りに聞いてみると、一番遠くても車で1時間。都会のような満員電車や渋滞とは無縁なのも嬉しいところです。
他にも、街がコンパクトで人口が少ないので、
・役所や税務署、免許更新所など、時々行く必要になる場所が近い
・手続きや病院の待ち時間がほとんどない
などでも時間が節約されます。
その結果、自由時間が増えて、生活に余裕ができました。
我が家の場合は、晩ごはんを家族そろって食べることができるようになりました。帰ってから夕飯をゆっくり作ったり、公園に遊びに行く時間ができたりと、フルタイムで働いていたときに感じていた、子供や家事へのしわ寄せがなくなり、「常時タスクに追われているかのような焦り」はなくなりました。
1日が24時間なのは変わらない。その中で、拘束されない時間が増えたのは、財産が増えたのと同義だと感じます。
自由な時間はプライスレス!なのです。
②食卓が豊かになる。
よく言われるように、田舎ではご近所からの野菜や果物、海辺であれば魚介類のお裾分けがあります。
これに対して、「全くお返しをしないと言うわけにはいかないので、結局“タダ”にはならない」という説があります。たしかに収支だけを見るとそうかもしれません。
けど、そのお裾分けって、その辺の海だろうが、小さな畑だろうが、その日に採れた新鮮な食材なわけですよ。必然的に、食卓は豊かになります。アジ、ウニ、きゅうり、ミカン、梅干し、知る人ぞ知る地元のお菓子。
タレに付けた牛肉と野菜を炒めていただけの時期とは、食卓の彩りが全く変わりました。そしてそれは、家族の健康に直結します。
身体は資本と言うように、心身が病んでは何もできません。健康はプライスレス!なのです。
③心や想像力が豊かになる。
田舎の人って、みんな「こんな何もないところによく来てくれたね!?」と言います。「自然があるじゃないですか!」と言うと「んー、まあ、たしかに自然はね…苦笑」という具合です(笑)
でも身近に自然があるのって本当に大切。人間も、自然の一部なのです。そしてやがて土に還るのだから、若くて元気なうちは自然と切り離されていても平気でも、ふとツラくなったとき、年老いたときに心を慰めてくれるもののひとつは、やはり母なる大地なのではないでしょうか。
都会にはエンターテイメントが充実していて楽しいですが、最終的に「帰るところは田舎」がいいなと思うのです。
しかしこれは、都会で暮らしていたときの、おしゃれな物が溢れている豊かさ、何も考えずバスボールを買ってもマイナスを気にせずに済む豊かさを経験したからこそ、感じることなのかもしれません……
あと、特に子育ては自然に囲まれてしたいなと思います。あり大抵な言葉になりますが、感性が育まれます。
おもちゃは木の枝で十分。
その枝で地面に絵を描いて、焼きそばに見立ておままごとをし、戦いごっこに使い、最後はマシュマロを刺して、みんなで焚き火を囲って焼きマシュマロにして頬張る。(たまに火に投げ入れて燃やしてみる。どんどん他のものも燃やしてみる…笑)
そんなのが日常です。
緑に囲まれて手足をいっぱいに伸ばして遊んだ思い出はプライスレス!なのです。
というわけで、決してお金持ちにはなれなくても、地方暮らしには、月収には換算できない豊かさがある、というお話でした。