見出し画像

人生の半分くらい寝ていた


noteを書いていて、自分の限界をハッキリと感じることがある。
それは、人の書いた文章を読んで、「人生みっちみちに濃く何かをやってきた人の書くものにはかなわない」という自分の至らなさだ。
昨日から立て続けにそういう方の記事を見つけて読みふけってしまい、ふと我に返った時、自分の書くものの底の浅さになんかどうでもいい気分になってしまうのだ。

私はなんだかんだ人生の半分くらい寝ていたんじゃないかと思う。
いや、誰でも一日の三分の一は睡眠時間だから、トータルで人生の半分くらいはみんな寝ている、とかそういう次元ではなくて。
他人が起きて活動している時間の半分くらいは、寝て過ごしていたような気がする。
中学生時代には、学校では授業をを無視してよく寝るようになっていた上に、夜も寝ていた。勉強も基本的にベッドに入って参考書を読んで覚える、というスタイルでやっていた。数学だけは起きて机に座って手を動かして数式を解く必要があったけど、それ以外は寝てやっていた。
起きていたのは本屋に立ち読みに行くときくらいだった。中学生のお小遣いでは欲しい本や漫画を全部買えなかったからだ。
高専時代も早々に勉強をドロップアウトしたので、学校でも下宿先でもよく寝ていた。
社会に出ても働いたり働かなかったりしてよく寝た。割とどこの職場に行っても楽な仕事に当たることが多く、周りは残業したりしていても私だけ定時で帰って寝ていた。
(そういえば男とセックスするのも「寝る」って言うなぁ)
本格的に精神疾患になってからの20年くらいは、もっと寝るようになった。
歴代の夫からよく「それだけ時間があるんだから何か好きなことやればいいのに」と言われた。でも何もするが気起きなかったのである。

なんか、幼少の頃から本を読むこと以外にあまり興味が持てなかった。
いつも周りの大人に「退屈!退屈!」と言っては困らせていたような気がする。
小学生、中学生、高専生、社会人…になっても、主に興味を引くことは本と恋愛のみだった。20代の頃、ちょっとTVゲームにハマってそれがきっかけで仕事が貰えたことがあるくらいだ。それも仕事にしてみたらすぐ飽きた。
そうなのだ。もともと私は興味を持つ対象がなかなか現れない上にすぐ飽きるのだ。

noteを始めて驚かされることが多いのが、濃い密度の人生を送っている人はとことん濃い、ということだ。そういう人は考え方も濃い。
というか、今まで一緒に過ごしていた身の回りの人も、話を聞く機会さえあれば結構な濃度で生きていたことに、私が気付かなかっただけかもしれない。
そんな人達に、寝てばかりいた私は何を言えるのだろう。

多分、人より多く寝ていたから、夢も人一倍長い時間見ていたと思う。
その夢の中身をそっくりそのまま覚えていて、人に話すことができたらいいのに。それなら、濃い人生を送っていた人にも対抗できそうである。
でも、夢は忘れてしまった。
その代わり、忙しい人生の人が見る暇が無かったものが見せてあげられるようになりたい。なれるといいな。





たいしたことは書いていませんが、サポート頂けると励みになります。