おとな界りゅうがく記

※昨日、ロバート・ハリスさんの番組「Otona no Radio」で
番組の感想メッセージを読まれるという慶事があったのですが
ホットな気持ちを急いでデリバリーした上に手元に残っていないので
時間をかけて完全版を書いてみようと思う次第です。※

ずっと前に見た朝ドラの一場面(家にテレビがあった頃だなあ)。
ベテラン女性歌手が問う。歌って、何で歌うと思う?
周りが答える。「のど!」「違う、心よ」
歌手が答える。「歌は、時間で歌うのよ」

当時は意味がわかっていなかったけれど、響いたのですね。
今の私の解釈は、こんな感じかな。

「時間だけは、ごまかせない。その人が積んだ時間は
 顔、字、声、足音、作品、全てに現れる」


10ヶ月連休中につき、昼12時からのラジオが毎日聴ける。
最初は思いついた時に聞いていた番組を いつからか
アラームをかけて忘れず聴くようになった。
番組の最初のコーナーでロバートさんのエッセイ?が読まれる。
最近は彼の受けたセラピーがテーマで、昨日が最終回。

内容が いちいち 道しるべに落とされたパンくずのようだった。


「セラピーを終えて3年ぶりのシャバ、大人の自分と子供の自分の
 使い分けがうまくいかず、ちょっとうまくいかないと涙が出る」
→6月に仕事を辞めた頃の私もまさにそんな感じ。
 ミッション幼〜高から大学、社会に出た時のズレをずっと維持。

「子供が大人の世界に飛び込んだように全てが新鮮に思える。
 ファッション、買い物、社交・・・」
→貧乏性を抜けつつある今、途上国から日本に来てる気分。
 好きな物が買えるってすごい。ファッションは今後の課題。

「社会では自分の気持ちを抑える方法ばかり教わったが
 一時自分を子供に戻し、やり直し、生まれ変われた」
→大人のふりをやめて森で相方と暮らすセラピー中。
 母に先日気持ちをぶつけたのも、薬になったのかも。

「心を開けば人も開いてくれ、人と深く繋がれるようになった」
→自分を守るべく、夫以外を次々閉じて来たけれど、鬱悪化。
 聞こえないはずのSOSをキャッチする人たちに助けられた。
 ごめんなさいありがとうを表そうと思っている。


大人の世界でうまくいかないから子どもの、ファンタジーの
世界にだけいようとしていた自分が見える。
(以前のblog「こども界りゅうがく記」
https://blog.goo.ne.jp/flow-sha

幼い頃から絵を描くことや歌うことが嫌いだった。
自分を表すと母が嫌がる、と思っていた。
子どもにとって全世界である母を波立たせないよう自分を抑えた。

子どもの魂は人それぞれの色合いなのに
他に受け入れられること、が価値の上に来て、均(なら)される。

ロバートさんもジョンレノンも、大人界に魂を売ってはいない。
セラピーを経て子ども界と行き来できるパスポートを得て
自分にしかない表現をする。

Otona no Radioで感じたのは、丸出しの個人だった。
なのに広く深く社会で受け入れられるという両立。

それは大人の特権ではなかろうか。
もっと言えば、苦しんでパスポートをつかめた大人の
勲章のような表現法では?


何もないから消えたい、と思っていた私が
今拾って眺めているこれはもしや、パスポートの申請書?

表現を、始めたい。

星くずは地上では、パンくずの形をしているらしいから。


※後日談(5月3日)
今日Otona No Radioでサンディ&サンセッツの
Sticky musicが流れ、ロバートさんが「この曲がオーストラリアで
大ヒットした頃、サンセッツのメンバーと遊んだ」と。
「メンバー」だった夫に聞いたら
「どこかで会ったと思ったらオーストラリアだった」だって。
会ってたんかい!

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