大人になれば 46『空の底・宮沢賢治・四色定理のセブンス・コード』

季節が揺れてきましたね。
山から風が。

季節の変わり目だからだろうか、いろんな友人がいろんなことをメールで届けてくれる。

一雨一度という言葉を知った。
秋が深まる季節、雨が一回降るたびに気温が一度下がる。
ああ、と思った。
一雨一度の向こう側で地球が太陽から少し遠ざかっている姿が見えるようで。

深海魚がいるのに、成層圏鳥はいないのか。
空に底はないのか。と聞いてくる友人もいた。
変なことを考える。
日付が更新されたばかりのベッドの上で考えてみる。

成層圏鳥はいないのか?

ヒントは重力にあるな。とぼくは思いつく。
重力があるから深海に餌は降る。
この世の終わりのような深い深い海の底にも恵みはある。
成層圏には何も落ちてこない。
重力すごい。

ぼくはそんな風にメールを返す。
そして最後にもう一つ返事をする。

空の底はいま、ぼくたちがいる、ここです。
すべてが落ちてくるところ。

ふだんはメールなんてしてこない友人がYouTubeの動画を送ってくる。
松尾レミ。『焦燥』。
初めて聴いて、なんだこれは、と思う。声。
まるで世界なんかぺらぺらの張り子だろって言われてるような、本質的に人を不安にさせるような声。グッとくる。この人は十年経ってもこの声で歌っているだろうか。歌っていてほしいとも思う。

友人から借りた宮沢賢治の詩集を思いだす。

多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌ふのだ
もしも楽器がなかったら
いゝかおまへはおれの弟子なのだ
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ
(告別)

十月の終わりにネオンホールプロデュース演劇公演・柴幸男短編集『四色定理のセブンス・コード』を観た。
『あゆみ』『ハイパーリンくん』『つくりばなし』『ぼうずまるぼうず』『反復かつ連続』。
一日四つの短編に七つのバージョン。そのどれも観れたのは幸せだった。ひとつ二十分ほどの作品がぼくをさまざまな場所へ連れていく。
孤独へ。宇宙へ。悲しみへ。衝動へ。時間へ。

ほんの短いトリップ。
ここではないどこかに行っていた感覚。
舞い戻る実在とふわりと残る感触。
夢から覚めたら足に砂がついていたような。

ぼくは面白かった。
それは全てぼくの中で起こったのだ。

ここはネオンホールで、ここはぼくで、変わらずビールケースの上に座っている。お尻がすこし痛い。でも、身体のどこかに宇宙の果てにまで行った感触が残っている。時間を早送りし、巻き戻した感触が残っている。ここはネオンホールだ。それは全て、ぼくの中で起こったのだ。

『反復かつ連続』で四人姉妹と母親の朝の風景が蘇るとき、ぼくの目の前の観客たちはそれぞれの朝の風景を見ていた。今はもう失われた時間を。
眼鏡をかけた六十歳くらいのおじさんも、黒いコートを着た年配のおばさんも、いつもぼくに説教をする二児の母になったあの子も、目の前の舞台と役者を見ながら、それぞれの記憶にあるそれぞれの朝の風景を見ていた。それは彼らの中で起きていた。

ぼくにはそれが見えないのに、彼ら彼女らの表情や佇まいや仕草がぼくに膨大な何かを届ける。まるでそれも含めての舞台のように。

『ハイパーリンくん』で空間が広がっていくとき、ぼくは天井を見まわしたり、床を確かめたり、後ろを振り返ったり、何度も何度も確かめた。本当に宇宙にぽつりと一人でいる気がして。怖かった。前にも横にも後ろにも人がいて、いるのに、ぼくは一人だった。
宇宙に一人でいるのは甘く、切なく、孤独だった。
宇宙に一人でいるのは孤独なのに愛おしかった。

ぼくは面白かった。
それは全てぼくの中で起こったのだ。

友人から借りた宮沢賢治の詩集を読んでいたら、まるであの短編集を観たあとの気分のようだなと思った詩があった。すべてこれらの命題は心象や時間それ自身の性質として。

新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるいは白亜紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません
すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます
(序)

20151113

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