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『何もない』は田舎の得難い価値

「何もかもあることが価値」とされてきた現代では、何もなく不便であることは欠点だと思われきた。

地方のど田舎ですら観光開発が行われ、人を呼び込むためのハコモノがずいぶん造られた。

ところが、ここ数年・数十年で「何もない」ことに価値を見出す動きが加速している。コロナ騒動でその動きに拍車がかかった。

人が思考するとき、そして休養するときには、何もない場所ってのは大きな価値だ。

「何もない」がそこかしこに在る

僕の地元にはコンビニも信号もない。

あるものより、無いものを数えたほうが数字だけは集められるような地域だ。「何もない、何もない」と嘆いていたこの地元で、ある夏僕は心が軽くなる体験をした。

2,000円/1人で焼き肉食べ放題のバーべキュー場がある。地元の人でもほとんど利用しないような穴場中の穴場。

そこに家族で出かけたときのこと。

他にお客さんは無く、貸し切りだった。

食べて飲んで語らったあと、メンバーはそれぞれ散歩したり川遊びをしたりと自由な時間。僕はそばにあった手作りの長椅子に仰向けになった。

そこに川からの涼しい風が吹いている
そこに涼しげな虫の声がする

たったこれだけのことだった。

これだけのことを得るのに、僕は車で3分あれば来られる。素敵すぎるんだよ!!

悩んでいる事、考えている事がいろいろバカらしくなった。頭を使うということがフッとやめられた瞬間だった。時間にしてわずか10分程度だったかもしれない。

比較的ゆとりのある生活を送っている田舎の僕らでも脳の沈殿物は溜まる。人生にはぼーっとする時間が必要だとは言われるけど、こんな風に田舎を自分の命そのもので感じることで、心はリフレッシュするんだなと体感できた。

あ、これが田舎の価値なんだな。と心から思えた。僕らは見えない価値をすでに持っている。

息つく瞬間、心を休ませる空間

現代人にはこういう時間が必要なんじゃないかな。

田舎に住んでる僕ですらリフレッシュできるんだから、都会の喧騒に疲れてしまった人には、この「何もない」空間の価値が沁みるんだろうな。

田舎のブランディングや地方創生を考えるとき、僕らはついつい「外から人をどうやって呼ぼう?」と考えがちだ。田舎の価値を外に向けてどうやってアピールしようかと。

実際に、都会の人には田舎の「何もなさ」は魅力的だろう。そこに大きな価値を感じてくれるのは、今の僕らより都会寄りの人だとも思う。物も情報もありすぎる日々は、さぞ疲れるだろうなと。

でも、田舎の価値を一番に体感していきたいのは、いま田舎に住んでいる僕らだと思う。

僕が体験した「何もない幸せ」は、地元の人でも十分感じることができるはずなんだ。無理やりこれを価値だと思う必要はないけど、日々のモヤモヤをスッと洗い流せる場所が、田舎にはそこかしこにある。それを少しずつ広めていくのが僕の役目なのだろう。

一体どうやったら地元の人を巻き込んでの地域再生を進めたらいいかわからないけど、なんにしても【面白おかしく】したいね。地元の素敵さに気づいてしまったのだから。

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