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どこでも住めるとしたら、どこにも住まない

これまでいろいろなところに滞在してきた。
例えば、蠍が現れるグアテマラのジャングル、砂嵐が吹き荒れるオレゴンの砂漠。西表島のキャンプ場、京丹後の民家、金沢のゲストハウス、横浜のシェアハウス。そして今住む小田原の自宅、などなど様々な場所と一夜を共にした。

そして今このnoteを書けているのは、どの場所でも生存を済ませてきたからだ。どの場所も、ぼくを生かしてくれた。どの場所でもそれなりの殺傷ポテンシャルがあるにも関わらず、ラッキーだなと思う。

#どこでも住めるとしたら
というnoteのお題を見て、それについて考えていた。
ぼくはだいたい定住を3年区切りにしている。

これは自分がつくるフェスティバルが3年区切りであることと紐づいていてる。小説を書き、フェスをつくる土地に引っ越して、その土地の水でいきながら、その土地の物語を書き、その土地で祭り上げるのだ。

文学や祭礼というのは植生のようなものがある。その土地にしか生えない固有種のような文学があり、祭礼があったりする。自然に芽生えることが、作品づくりにおいて大事なことなんじゃないかと思っている。

ということで、どこでも住めるとしたら、ぼくはどこに住むのだろう。

3秒くらい考えた。
どこにも住まないなと思った。

ぼくが理想とする「住む」は恐らく下記のようなもの。
現代ではまだ実現できないから、SF小説として書いてみます。


朝、柔らかい陽光に照らされて、心地よく目が覚める。
真っ白な布団の誘惑的な風合いと太陽の香りに顔を埋める。
窓から覗く蝋梅にはホトトギス。ムクドリの声も聞こえる。

起き上がるとリビングへ向かい、昨日汲んできた湧水を一杯飲み、窓際で軽いヨガと瞑想をする。瞑想を終えると、体内のナノマシンと連携したスマートウォッチに現在の健康状態を鑑みた上でおすすめの朝食メニューがいくつか表示されていて、僕は鮭の塩麹焼きとほうれん草のおひたし、酵素玄米と野菜のお味噌汁と果物の酵素スムージーを選ぶ。

「ピコン」という選択完了の音と共に室内の調理ロボが調理を始める。その間にシャワーを済ませ、マウスピース型の自動歯磨きで歯を磨く。
洗面所から出てくるのと同時に卓上には朝食が整えられていた。

「今日は10時から大阪 新世界市場でセルフ祭りがあります」

パーソナルAIが自分の趣味趣向にマッチした情報をピックアップし、卓上にホログラムで表示する。僕は情報を眺めながら朝食を食べ、今日住む場所を考える。

「新世界市場付近で、楽しく遊べるところ予約しておいて」

そうAIに告げ、予約を完了させた。
清掃ドローンに部屋の掃除と身支度の準備を依頼すると、僕は家の外に出て庭のアップルミントを摘んだ。ハーブ園の隣では山羊が美味しそうに雑草を食べている。

家に戻り、沸いているお湯でミントティーを淹れ、ゆっくり飲みながら過ごしていると身支度が完了し、外に停めていた車に乗り込む。

事前に設定されていた目的地に向かい車は自動で走り出し、3日間泊まっていた伊勢から大阪まで2時間半。車内でひと通りの仕事を終わらせる。

到着すると祭りはすでに活気付いていて、地のものを食べ、己を祭り、存分に遊ぶ。暗くなって遊び疲れた頃、車に戻ると近くのゲストハウスまで車は移動し、すでにチェックインは済ませてくれていた住まいに住まう。

ゲストハウスでは祭りで出会った人々と再会し、二次会のように食卓を囲み、偶然のような必然性に感謝する。

「明日はどこに住もうか」
期待と共に眠りにつき、体内ではナノマシンが身体をデバッグし、願った夢を見る。


なんていう暮らしをベースにしつつ、たまにパーソナルAIをオフにして身体1つで旅に出てみたり、3年くらい作品制作のためがっつり住んでみたり、正月くらいは実家でしばらく過ごしてみたり、まだAIに表示されない土地を拓いて村をつくってみたり、時間も期間も決めず行雲流水に生きている「住む」の未来を想像しました。

と、同時に、住むとは書いて字の如く「人」が「主」ということでどこに住むかは「場所」というより誰と関わるかという「人」が主なんだろうなぁと考えていた。

何十年か暮らさないと生まれ得ぬ人との地縁みたいなもの、方言やキャラクターへのノスタルジー。こんな時代にはそれらへの憧憬もやがて芽生えてくるのだろうなぁ。





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