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死の前に、逃げがあるために。

昨年の子供の自殺者数が過去最悪の数字になったそう。4割が男子高校生、原因は学業不振、入試などが並ぶ。

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6455474

これは全大人への通知表。僕らは皆、追試決定だ。

横浜でやっている逃げBar近くにも翠嵐っていう進学校があるのだけど、逃げたくなった学生がたまにくる。

進学校ほど逃げないことが美徳になりがちだけど、逃げることは自分を広く見つめて選択肢を増やすことで、そしてそれが豊かということに、大人になってくると気づいてくる。

成績が悪くなることも、希望した学校へ行けないことも、人生のうちのほんの一瞬の辛さでしかないことを当事者たちはなかなか気付けないから、少しだけ長く生きている僕らが言い続けないといけない「死ぬまえに、逃げてくれ」と。

特に深刻な事情がなくても、どうしても逃げが必要だと思ったら逃げていいのだと伝えたい。

それを現した逃げBarのことをもっと多くの人に知ってほしい。バーだけどほとんどノンアルメニューだから未成年でも入れるし、最近30人分のドリンク代を先払いしてくれた方が現れたから、いまなら30人分無料で飲めるし、自殺を決めきる前に、まずはいちど、逃げBarへ。

ここにはなにもないから、ちゃんと考えられる。スマホも時間も手放して、白と光だけの空間で、何者でもない自分と対話をしてあげてほしい。

逃げBarにきても偏差値は1つも上がらないけれど、偏差値以外の尺度を持つことはできるかもしれない。幸せのKPIなんて1つじゃないんだ。いくつも価値基準をもてるから人にやさしくなれるし、弱いことを知るから人と繋がることができる。

日々、異なる逃げの価値観を持つ多様な店長たちがあなたを迎え入れます。


一方で、こういう自死もある。

現実という面倒で、つまらなくて、苦しい世界から逃避した結果として死があるという感覚も、わかる。身体を保ち、自己があるというのはそれほどに厄介だ。 芥川を自死に追いやった「唯ぼんやりとした不安」というのもある。

でもだからこそ、
世界は実はまだ何も定義されていなくて、自分自身で自由な絵を描ける白いキャンバスであるということを伝えたい気持ちもある。

世界は色々な人が何かを描いていて、もう何も描き変えられないように見えるけど、自分の中で真っ白にリセットして、新しくつくることはできるから。

本業でやってるフェスティバルというのはまさにそういう文脈だし、逃げBarでやってる生前葬も自己を殺して生まれ変わる儀式としてやっている。人は自分を自分で騙せる、環境に依存した精神だから、脳のプログラムを書き換える環境設計をすればいい。

人生はクソゲーなのではなく、0から作れる最初で最後のゲームだから、電源を切る前にどうやったら面白くなるのかを、共に考えたい。生きるってことはそれくらいのことでしかないのかもしれないけど、それくらいのことができるということは天文学的にスペシャルな奇跡だから、せっかくなので、勿体無いので、使える権利使ってから逃げ場はどこなのかを考えましょう。

https://twitter.com/nigebar0


「こんな未来あったらどう?」という問いをフェスティバルを使ってつくってます。サポートいただけるとまた1つ未知の体験を、未踏の体感を、つくれる時間が生まれます。あとシンプルに嬉しいです。