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二人の自分の狭間で

中学3年生の最後の授業は30歳の自分へ手紙を書くというものだった。そのことをずっと覚えていて、長年封をしていた手紙を読んだ。そしたら冒頭に「この手紙を読んだら60歳の自分に手紙を書いてください。それを読むために生きてください」って書いてあった。よく分かってんな、自分め。

言われたとおり、原稿用紙を買ってきて手紙を書いた。17歳の自分は30歳の自分にどこか他人行儀で敬語で書いていた。想像もできない遥か先の何者かに見えていたんだと思う。でも今は60歳なんてすぐそこの自分に思えて、明日の自分に話すように手紙を書けた。 

聞きたかった1つのことと、あとは余計なことを書いた。いま蜜柑を食べているよとか、そんなこと。大事なことはぜんぶ17歳の時の手紙に書いてあった気がしたから。シャーペンで書いた淡い筆跡、この健気な誠実さはシンギュラリティを超えてくれるだろうか。 

過去から未来は不可逆な矢印で進んでいるのではなくて、1本の線で繋がって同時に存在しているんだってことがこの歳になると体感として分かってくる。過去の自分も未来の自分もすぐそばにいてるのだ。 

90歳の自分に向けてどんな面白いことを書こうか楽しみに明日を生きていこう。時に両隣にいる自分達に目線で律してもらいながら。

「こんな未来あったらどう?」という問いをフェスティバルを使ってつくってます。サポートいただけるとまた1つ未知の体験を、未踏の体感を、つくれる時間が生まれます。あとシンプルに嬉しいです。