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信頼が更新される時代

コロナ禍を(今のとこ)一抜けした台湾の蔡英文さんは国民に自粛を求めたんじゃなくて、我々は目的のために一時的に皆さんを監視、制限しますよってことを承認してもらってコロナ禍を抜け出したわけだけど、85%以上がその政策を評価している。

台湾はうまくいっているけど、対策自体は今後の台湾をパノプティコンにも出来てしまう強烈なもので、もし今の日本が同じようなことをしたらどうなるのだろう。

そのような信頼関係を支えるのは、台湾国民が自らの手で勝ち取った直接民主制という誇りや、蔡さんの人柄や実力そのものにもあるけど、いよいよ信頼の形が透明なテクノロジーと運用方法によって更新されていくのではないかという、風を感じるものでもある。監視システムが倫理的にどうこうという議論の前提に、その技術がどういう方法で、どういう範囲で、どういった使われ方をし、誰がどのようにどう運用して、責任の所在と対処フローはどのようになっているのか、そして何より、そのテクノロジーはハックされない安全な技術なのかという、技術自体への信頼性が大切になってくる。

ブロックチェーンがインターネット以上に革命的な技術になるっていうのは、恐らくこういう文脈もあってのことだろう。改ざん不能というのは、それだけで国家に代わる力を備えている。

コロナが変えている世界っていうのは多分そういうことでもあって、どこか1つの地域や国が一抜けしても、グローバル経済で繋がりあっている現代においては、その国が鎖国し内需だけで回る市場を持つならまだしも、大体の国においては真の収束は地球全体規模での収束となる必要がある。

そのプロセスにおいてはロックダウンの発令や、ましてや自粛要請といった信頼関係では現状及ばず、監視を含むシステム的な管理方法の風向きが強い。(3rd planとして宗教という手もあると思っているがそれは監視以上に反発があるだろう)

少々話は脱線するが、なぜ人が数を用いるのかというと認識できない範囲を知るためだと思っている。それは他の生物だったり、宇宙だったり、時空だったりする。では認識できる範囲、例えば人数ってどれくらいまでなのだろうと考えると社会学でいうダイバー数(150人)という数字がもしかしたら限度なのかもと考えている。要は150人を超えたサイズの社会においての信頼は、宗教的団結以外の方法として、数(データアルゴリズム)に頼る他ないのではないかとも思う。

ウィズコロナ時代は信頼の基盤を、国家や通例という指標から透明なテクノロジー、アルゴリズムに変化させていくポテンシャルがあるのでは思う。 

コロナ禍を抜け出した中国、台湾の現実と倫理、全体主義と民主主義の揺れは世界中に共有されていて、日本がこのままパンデミックするかどうかっていうのは、自国の医療崩壊や経済の停滞はもちろんなんだけど、マクロでみると世界のイデオロギーがどこに傾くかっていう重さも担っているのかもしれない。

そんな中で改めて自国を見つめると、政治と国民は離婚寸前の夫婦みたいな関係にあって、何をしても互いに傷つけあって、コミュニケーションって信頼がベースにないとHow toもなにもないよなぁって思い出させてくれるような状況。 

中央がこれからどういう舵取りをしていくか分からないけど、政治的なしがらみに囚われない働きかけができるヘルステック部隊の組織と、付随するインフラの実装は中長期的に見るほど必要性が高まるのかなぁと思う。(またそれを市井に分かりやすく伝えるデザインの力も)

それを中央から組織するには意思決定速度が遅すぎて手遅れになりそうなので、中央はとりあえず予算を各都道府県に割り振り、あとは各首長が官民学を統合したドラスティックな政策を素早く打って、透明なテクノロジーをベースとした対策をどれだけ素早く実装できるかってとこなんだけど、弊首長はコロナファイターズなんて言ってて悲しい。 

というかただの自粛でこれだけ御せる日本国民はほんとすごい(いろんな意味で)。。きっとこれから各地で起こることを通して、強い痛みを持ってして、自分たちは民主主義、信頼とは何かを思い知らされることになるだろうけど、投票率もぐっと上がるだろうなと、信じたい。

「こんな未来あったらどう?」という問いをフェスティバルを使ってつくってます。サポートいただけるとまた1つ未知の体験を、未踏の体感を、つくれる時間が生まれます。あとシンプルに嬉しいです。