学べる以前に遊べることが大切だ。エデュテイメントという考え方について。
こんにちは〜
今度「エデュテイメントと若者論」というテーマで講演をさせていただくことになったので頭の整理がてらnoteに考えを随筆していきます。
講演では公教育にこそエデュテイメント思考の導入が必要だ、ということを伝えていきたいのですが、本記事中ではその中でもエデュテイメントという考え方についてを主に書いていきます。
はじめに
エデュテイメント=エデュケーション+エンターテイメントを組み合わせた言葉です。wikiで調べるとこうでてきます。
娯楽でありながら、娯楽と関係ない分野の教育として機能するようなエンターテインメントの形式である。テレビ番組、テレビゲーム、映画、音楽、ウェブサイト、マルチメディアソフトウェアなどといった一般的な娯楽の中に教育的要素を埋め込むことで、聴衆や視聴者を教育する。
とのことなんですが、ぼくのなかでエデュテイメントとは教育と娯楽が関係ないというマインドセットを取り外すことにこそ本質があると思っています。
遊びのなかにも教育がある。
オランダの歴史家ホイジンガは人間はホモサピエンス(知恵ある人)ではなくホモルーデンス(遊ぶ人)であるとして、遊びが人間活動の本質であり、文化を生み出す根源だとする人間観を提唱しました。
遊びとは共同幻想を共有し同意された集団や個人で縛りを楽しむものであり、それは共同体をつくります。それゆえ文化は遊びのなかに現れるというのがざっくりした論旨です。
例えば、一番最初に石を叩いて太鼓のように使い音楽を生み出した人類は、何を持ってそうして何故その文化が現代まで続いているのでしょう?はじめは単に石器をつくるため(生き残るため)の工程だったかもしれませんが、そのなかで「なんか面白い!(楽しい)」という感覚が芽生え(もしくはその音を聴いてた人からその感覚が芽生え)、楽しいという普遍的な快楽は他者にも共鳴し、遊びとして音に「楽しむ」機能が追加され音楽となり、現世まで引き継がれているという考え方もできるなぁと思います。
政治的基盤を固めるための共同体をつくる機能として、集落でイニシアチブを握るものたちにより使われてきたことは推察できますが、それを更に深堀り根元を見つめると「快感原則」に基づいた共鳴(=楽しさ)が音楽文化の伝達の動機となり、一定のリズムや音に合わせると楽しいという共同幻想(=遊び)が文化の基盤にあることは納得できる気がしています。
つまり教育という文化(またそれに伴う知識や教養)は遊びのなかから生まれていてもおかしくないということです。
・日常から学び取るセンスこそ早期に養うべき技術
教育の目的は定義せず議論し続け流動性を持たせることが大事かと思いますが、教育以後で学習機会を最大化させることは1つ大きな役割として担っているんじゃないかと思います。学習においても流動的に目的が変化していくことであるがゆえ、決して教室内だけで完結するものではないからです。
ぼくらはコンビニにおにぎりを買いにいくことでいくつの学びを得られるでしょう。商品名やパッケージのデザインから企業のブランド戦略やターゲット、デザインの基礎技術を学びとれるかもしれません。商品価格から市場の相場を学び、レジ打ちする店員さんの目からマネージメント、労働環境の課題を考え、外国人移住者の増加を知る機会になるかもしれません。パリパリの海苔と3日後も味が落ちない品質から食品科学を学び、同時に栄養学的課題を知ることになるかもしれません。
知識を血肉にしていくには応用することです。日常を分断せずあらゆるものに視野を向けて思考していくと知恵が養われます。新しい文化が生まれていきます。そのためにも学びの正反対にあるかのような遊びを学ぶことには意味があるのです。
・遊びと学びは分断できない。
そもそも日常の行動において「これは遊びか、学びか」なんて区切る意味は本人の士気が変わるくらいで、クラブで無心で踊っている最中に感じる一体感や音への没入感は決して学校では学べない重要な人類の叡智ですし、知的欲求を満たす学習はエンターテイメントといってもいいと思います。「5時から男」とか「週末趣味」とか、楽しむことと、楽しまないことをこれだけ明確に分けたがる民族も珍しいのではと思いますが、楽しむことはまず、悪いことではありません。
授業も無論、楽しく面白くで良いのです。
そのなかで気づきを得る精度をあげるための、感性を養うプログラムづくりや環境づくり、自分自身の在り方など土壌をデザインすることでEducationの語源であるEduce(引き出す)により近い意味でエデュテイメント教育が機能していきます。
・「何をする」よりも「どう在るか」の方がマジカルな体験
その上でどうエデュテイメントを実装していくか、という考えに移ります。
まず基本的には下記のような体系を意識します。
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