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「1に昼食、2に土産、3・4がなくて、5に笑い」の『ふらっとフットパス71』

2006年、「平成の大合併」で7町村が合併した南房総市。ここでは、合併によって、様々な施策や住民サービスが統一されていく中で、旧町村の地域の特色が失われないよう、南房総市7色の地域づくりを目指しています。南房総市内の富山地域づくり協議会「ふらっと」は、「知恵を出し合い、想いを語り合い、住民自らが行動して地域に『安心』『生きがい』『にぎわい』を創り出してい」く、そんなグループです。

「ふらっと」では毎月、フットパスを実施。2月は、人形浄瑠璃の歴史がある護国寺などを巡りました。

まず、平久里下地区原を巡ります。十王堂は1900(明治33)年、旧平久里21か所弘法大師霊場の2番札所に定められ、1974(昭和49)年にお堂が再建されました。八雲神社は昔、「牛頭天王宮」と呼ばれ、1773(安永2)年の建立と考えられています。


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八雲神社の祭神はスサノオノミコトで、スサノオは後に仏教における祇園精舎の守護神・牛頭天王(ごずてんのう)と習合しました。


律令時代、古代日本の五畿七道の駅路沿いに駅家(えきか/うまや)と呼ばれる施設が整備されました。718(養老2)年に安房国が設置されると、その国府である旧三芳村の府中と各エリアを結ぶ道路が建設されたよう。安房国には白浜駅と川上駅ができ、川上駅は富山地区の川上にあったと考える研究者が多いそうです。


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当時の川上駅へと続く道と想定される個所は複数。東西と南北とを結ぶ、交通の要衝だったとか。


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途中で牛さんたちもお見送り。


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見えているのは富士山!? ですよね?!


今回も長くなりそうなので、井野地区の森ノ上にある御嶽神社などに立ち寄り、みなさん待望のランチ♪ ふらっとフットパスは「1に昼食、2に土産、3・4がなくて、5に笑い」だそう。たしかに解説の合間にいろいろ笑わせてくださる……(笑)。そして、広々とした吉沢地区吉井の「吉井農村公園」で、お母さんたちが用意してくれたほかほかのお昼ご飯をいただきました。

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ほかほかご飯がふるまわれる、超ぜいたくなランチ。参加者が心待ちにする、いちばん人気の時間。


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広々とした公園内。思い思いの場所に腰かけて、おいしくいただきました。


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「吉井農村公園」の水車小屋は、1931(昭和6)年頃まで稼動していたようです。詳細は、『房総タウン.com』さんの記事をご覧ください。


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南房総に春が訪れました。


そして、真言宗智山派の成願寺を訪れ、「波の伊八」の手がけた麒麟の彫刻を鑑賞。


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波の伊八の本名は武志伊八郎信由。1752(宝暦2)年に現在の鴨川市に生まれ、彫刻の彫り師として活躍。外房の荒海や、その波に対峙する竜などを板に彫り、「関東に行ったら波を彫るな」といわれるほどの腕前。麒麟は王が仁のある政治をおこなうと現れる神聖な瑞獣(吉兆として姿を現す、希有な特異性のある動物)とされる。


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天井からつり下がる太鼓。


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寺の外観。


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解説してくれる住職。


その後、天児屋命(あめのこやねのみこと)をまつり、大勢で屋台を担いで巡行する平群の「担ぎ屋台」発祥の神社ともいわれる、吉沢地区米沢の春日神社へ。


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「平群囃子」発祥の神社ともいわれる。


最後に、浄土宗の青龍山護国寺へ。江戸時代、丸山地区にあった豊田村と、富山地区にあった米沢村で人形浄瑠璃が盛んにおこなわれました。米沢村には「吉村座」という一座が生まれ、明治に隆盛をきわめました。誕生の背景には、伊勢参りの道中、関西で人形の頭を買い足していったことがあるとされています。


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当日の展示の数々。


フットパスもゴールです。お昼にはお母さんたちから食用菜花をいただき、ゴールでは主催の方々よりお花をいただきました。さまざまな満足感が得られての参加費1,000円は安すぎだと感じましたが、やはり人気があって毎回、満員になるそうです。

次回は、「ふらっとフットパス72(新一万円札「渋沢栄一」と関係のある、 初代館山病院長 川名博夫氏ゆかりの地を訪ねます。)」とのこと。ご関心ある方は、早めのお申し込みを……。


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帰宅後、部屋に、お土産でいただいた花を飾りました★

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