菅新首相が誕生しましたが、女性政策については引き継がれることとなっています。女性管理職30%という目標がなかなか達成できない日本にとって、何が目標達成を阻んでいるのでしょう。

たまたま私の母がいわゆるキャリアウーマンだったこともあり、母の生活をたどっていけば少しは問題がわかるのではないかと考えました。母の話をもとに、女性のキャリアについて考えてみようと思います。

私の母は、私の入学式、卒業式、運動会に来たことがありません。母が来たのは高校の卒業式ただ一回きりでした。それから、職場での残業は認められていなかったため、帰宅してからも仕事をしていました。夜中までタイプライターの音がしていたのを覚えています。その後、ワープロ、ノートPCへと、機械は変わりましたが、母の仕事ぶりは変わらずでした。

母は私が小学生の時、とある研修チームに選ばれ筑波大学に泊まり込みで勉強に行くことになりました。たしか1か月くらいだったと思いますが、小学生の私にはとても長く感じました。研修のおかげでパソコンに強くなった母はエクセルを使いこなすようになって帰ってきました。25年ほど前の話です。当時の母の職場ではまだパソコンを持っている人はおらず、かろうじてワープロを持っている人が数名と、残りの人はまだ手書きでした。

ちなみに、少し私の話をすると、12年前私が入社していた時期ですら、私の職場では、パソコンを2人で1台共有で使っており、メールのアカウントは課に一つだけというありさまでした。ですからメールするときは、「メールします!」と大声で課員に伝えてからメールしないと、他の課員が下書き途中だった場合ぶつかってしまうわけです。先輩から「メールしてる!」と言われると、「わかりました!」と言って、先輩が送信し終わるのを待つ、という生活でした。さすがに12年前にそんな働き方をしている人も珍しいのかもしれませんが・・・笑。

私が高校に入学した年、母は転勤で単身赴任することになりました。その間父と祖父母と暮らし、母は一人で頑張っていました。夏休みは母の家に遊びに行きましたが、仕事が大変そうでしたし、何より家族がいない孤独を感じているようでした。

母は管理職として色々な活動をし、地元の新聞にも載ったことがありました。しかし約10年ほど前、急に仕事をすっぱりと辞めたのです。一番の理由は父の定年退職だったようです。同じタイミングで辞めて二人でゆっくり過ごしたい、そんな思いから、定年よりずいぶん前に退職しました。

それから2年ほどはゆっくり過ごしていたのですが、ある日また急に仕事を始めました。子供たちに楽しく勉強を教えたいと言って、学習室を開講したのです。勉強の内容を教えるというよりも、自主学習の力をつけさせることを目的としたもので、マイノートと呼ばれるノートを各自作ってもらい、毎日そのノートを使って勉強する癖をつけていきます。このnoteのページ名である「まいノート」もその名前を借りて付けました。

7年ほど学習塾を運営していましたが、年齢や体力的な理由もあり、昨年その学習室を閉じました。現在はまた自宅で父と仲良くゆっくり暮らしています。

そんな母の背中を見て、私は育ちました。

人によっては、そんなに働かなくても、と思う方もいるでしょう。または、環境が恵まれていたからできたことでしょうという方もいらっしゃると思います。ですから、母が仕事を続けることができた理由をまとめてみようと思います。

①父の理解

一度母は仕事を続けることを諦めかけたことがあります。私がまだ小さかった頃です。祖父母と同居しており、平日の料理は祖母がやってくれていたとはいえ、育児と仕事の両立は大変だったそうです。そして、母は仕事を辞めようか悩んでいると父に相談したのです。すると父は、「本音は働きたいの?」と聞いてきたそう。母が働きたいけど両立が難しいという話をすると、家政婦を雇っても構わないと言ってくれたそうです。父が家事や育児に無関心だったわけではありません。しかし母が自分で両立できないことを自分自身で責めていたので家政婦という案を出しました。「君が好きで働いていいるのなら、やりたいことをやる方がずっと価値がある。だから、できないことはお金を払って解決したらいいと思っているし、君がやっている仕事にはそれだけの価値があると思っている。」と言ってくれたそうです。この一言で、母は吹っ切れて、仕事を辞めずに済みました。ちなみに両立できていないと思っていたのは母の気持ちの問題であり、実際は家族で協力しながら家事をしていたため、家政婦さんにお願いしなくても生活できました。

②祖父母の存在

私が成長する過程において、祖父母の存在は非常に大きかったように思います。父も母も平日は仕事漬けだったため、私は祖父母にかなりお世話になったと思っています。特に祖母にはご飯を作ってもらったり、一緒にお出かけしたり、たくさん遊んでもらった記憶があり、大のおばあちゃん子になりました。そのおかげで全く寂しいと思ったことはありませんし、親の目を盗めても祖父母の目は盗めない環境だったため非行に走る暇は全くありませんでした。

③同僚の存在

同僚とのコミュニケーションの中で、組織をどうしていきたいか熱く語り積み上げてきた思いが、母のキャリアには大きく影響しているように思います。転勤族だったので、数年ごとに同僚が変わっていきます。たくさんの職場の仲間と組織の在り方を話せたことで、母はキャリアアップのきっかけを見出したのではないかと思います。そもそも姉御気質だったので、私がみんなのためにやらなければ!みたいな気持ちが生まれたのでしょう。

このようにまとめてみると、周りの環境が非常に大きい要素になっていることがわかりました。

実際に女性管理職が増えない理由は三つの要素があると思います。

①なりたくてもチャンスをもらえないから

男性の方が、①産休で休むことがない、②ワークライフバランスに気を使わなくてもいい、といった理由で男性の方にチャンスが多く与えられている状況はいまだにあると思います。実際数日前飲食店を運営している知り合いの男性が、女性をマネージャーに起用したくないと言っていて、その理由がまさに上記のとおりでした。

②なりたいけど自分のライフプランとキャリアがうまく両立できるかわからないから

これは女性側が敬遠してしまうパターンです。女性は人生のプランを考えることが多く、結婚、出産などのタイミングと自分のキャリアアップのタイミングがうまく合うのか、気にする人は少なくありません。男性は結婚や出産のタイミングと自身のキャリアアップのタイミングについて考えることがほとんどないと思います。このずれが機会の格差を生んでいる気がします。

③そもそもなりたくない

ライフプランについて考えた結果、そもそも昇進したくないと考える人もいるでしょうし、キャリアにまったくこだわりがないという人もいると思います。そもそも権限が大きすぎるとか、向かないと考える人もいて、管理職30%を目指すよりももっと前の問題があります。

私自身、正直言って管理職という環境に全くこだわりがありません。ですから、この意識の問題について、私自身考えをまとめきれていないのが現状です。

私は自分の立場がアルバイトでも正社員でも管理職でも社長でもなんでもいいと思っています。その先にやり遂げたいものがあり(私であれば街づくり)、それができる環境であればどんな立場でも構わないです。しかし立場には権限が伴っていて、やりたいと思っていてもその権限がないということが大いにあります。その権限が成し遂げたいことに必要であれば、その立場になりたい、というのが私の本音です。

キャリアというのは、その立場がゴールではなく、何かをするための手段だと思います。給料が上がるからとか、見栄えいいからとか、そういった理由ではキャリアの意味がありません。その権限を活かして組織にどう貢献できるのか、社会にどう貢献できるのか、考えるべきです。そのためにまずは今やっている仕事を通じて何がしたいのか、社会の中で何を成し遂げたいのかを考えながら働くことが重要だと思います。

その考えで働く人が増えると、キャリアアップに関心を持つ女性も増えていくのではないでしょうか。

参考記事




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