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「意味のない仕事」には、本当に意味がないのか

「こんなコトしても意味ないよね」
「時間の無駄」

仕事をしていると、度々そんな言葉が度々目につく。

「ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論」という本が一時期話題になったのを覚えている。

「意味」の意味

意味の有無とは、要するに価値の有無である。
価値の有無は、受け取り手が判断する。

「意味ないよね」という言葉は、つまり「私にとっては意味がない」という主張であり、「他者にとっての意味」を度外視している。

上の本に書いてあるような仕事がほんとうにどうでもいいのかはさておき、仕事である以上は金銭が支払われており、金銭を支払う雇用者に対して何らかの「価値」を与えていると考えられる。(この本の中では自分が働かずに他者を働かせたり、自己顕示欲を満たすような目的だったり様々だが)

これらの仕事に経済的価値が薄いと考えられるのは理解できるものの、決して「意味がない」ということはない。雇用者の視点では何らかの「意味」があるのだ。

「穴を掘ってそれを埋める仕事」の意味

度々目にする「意味のない仕事」の代名詞みたいなモノを例にして考える。

穴を掘って、その穴を埋める仕事の意味はなんだろうか。
もちろん経済的に価値を生み出す仕事ではない。GDPには一ミリも貢献しない。しかし、それをさせる側に取っては何らかの意図がある。それをさせられる側にも理由がある。(刑罰とか拷問とかそういったネガティブなものであっても、従うからにはなにかがある。)

「意味がない」と考えてしまうことの意味

「意味ないよね」という言葉は、つまり「私にとっては意味がない」という主張であり、「他者にとっての意味」を軽視している。
さらに、「意味ないよね」というとき、つまりその発言者は意味がないことを主張しているのではなく、それについて思考を巡らせることに価値を感じていないということを主張している。

これは、意味がないと主張する対象に対して一切の興味関心を持たないという精神的な断絶であり、拒絶である。用いることで協調的な姿勢の欠如を表出させる人間であることを明らかにしているのではないだろうか。

「なにが大切なのか」と問うて欲しい

全く意味のないことなど存在しない。
たとえ存在したとしても、その意味は何かと思考を巡らせてほしい。
考えることで慮り、理解しようと努めて欲しい。寄り添ってあげて欲しい。

そのあとで、どうするとより価値があるのか、一緒に話してほしいと思う。

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