生活記録[1月]

1月4日

 ロジカルなシンキングを、昨今、とんと行っていなかったので、すっかりやり方がわからなくなっている。そこで、ロジカルなシンキングを行うために、ロジカルなシンキングの練習を、しようと思った。

1月5日

 今回の年始は;屠蘇を摂取した;夜の住宅街を、とてとて、ふらふら、小走りで逃げ回り、マンションの駐輪場の手前で立ち止まった女性に、追いついた男性が、さぁ帰りましょう、とジャンパーを掛ける一部始終を見た(カップルが戯れに追いかけっこをしていたようだ);新旧書店の漫画棚で、評論もどきの空想をたのしく(心中独語で)嘯いていたら、反対の棚を物色していたはずの私の背後の老爺が「ハッ、なに御託ならべてるんだか」と呟き吃驚した(店内放送に対する独言だったようだ);2連続で外出時に牛乳を買い忘れ続けた;箱詰めにしてしまっていた同人誌の評論を拾い読みしたら背に刺し込まれた。
 生きていることを、あたかも水が運動するかのように、時が流れることと、同一視しないこと。欲望なり生命なり本能なりは、何もしなくてもどこかから到来したり湧いたりするエネルギーでもなければ、放置すれば事故って制御すれば生産的になるそんなエネルギーでもない、と思ってみること。とりあえず時間も空間も胡散臭い代物だと思っておくことにする。疑わしいと思っておくことにする。何かが狙ったとおりにできるってどういうことなのだろうか。というか何かを狙っているのか、できているのか。何も知らない。知らないとはどういうことか、も知らない、と思う。思う、が何かわからない。
 文を読むのに並行して、身体が蒙る変化を、形容する語彙の持ち合わせが少ないのだが(この一連の物言いも、読みものの味わいとか、大雑把だが簡便な喩えが即座に出ないので、こうもまだるこしくなったが)、読書体験(書籍かはともかく)を、経験的であれ分類するための手引を、自前以外で欲しくなる。

1月7日

 生存に余裕が生じて来たと思いこめる気分になってきたので、「自分の頭で考える」をやってみようと思ったのだが、自分の頭で考えるのってどうやるんだったかよく思い出せない。
 判明とせぬ「頭の中」を文字にしていく(なぜ諸観念ないし諸概念を包摂した空間[散らかった部屋、ないしは未整理のファイル・フォルダ?]とでもいうべきものとして「頭の中」のような隠喩的なものを用いることが可能なのか。この隠喩の系譜及びこの隠喩が自明化する考えとは何か)ことを試みたら早速「脱線」「して」「しまった」「が、」「最近」「何となく」(いちいち括弧に括って何ゆえこのような表現を用いるのか、と問い掛けるのでは錯乱しっぱなしなのでやめる)気になるのはフリーライダーというもので、なんとなく聞くのだが、これはかつて搾取ということばで問題化されたものといかなる点でことなるのだろうとか、誰か(たち)の活動から恩恵だけを得るのが不正であるみたいな発想って何なのだろう、活動している当人たちが考えもしないというかどうでもいいとおもっているいわば副産物みたいなものから利益なり勝ちなりを産み出すのはフリーライドなのかとか、まだ勉強不足で妄想が先行中。
 妄想が先行中というよりはこの個体を構成する諸力が生成する思考とでも呼ぶべきようなたしかパーソナリティとか人格性とか思想信条とか呼ばれる類いのものだと思われる何かが文になろうとして散漫な仕方で捉えられた諸言説に反応しながら疑似的な問いを(立てることである立場を)生産している感じか。

1月10日

 ハッピーバイオ103を摂取。お水が飲めるようになった。
 思っていたと思われるとか、考えていたと考えられるとか、文法上可能だと知っているだけで、「思う」や「考える」をどう使う場で生きようとしているのかとか、どういう使い方を選択した読み手を宛先にしているかを、措定してから文章をつくっていない「気がする」が、そもそもつくるべきなのかも問い。気、思い、考えがどう違うか、どう同じか。

1月13日

 ここ20じかんくらい、マウスとガメンとモジいがいのモノをホトンド みて いない ので、すこし、 くらくら するけれど、、、、、にほん ご おかしくなったけど、 なんか もう すこし で もう すこし だけ で キレツのソコがみえる みえるようなキがする。もう すこし、もうすこし。

 表意文字に警戒して表音文字を多用し熟語にも注意したつもりだったが、その企図を説明可能な記述として表象し得ず、和語の使用という選択や、入力する装置ないし機構、さらに句読点や接続語などの語用などのもたらすコンテクストを比較的考慮しておらず、自身の発話の効果に対する予見が不適切だったか。

1月15日

 何か思い出せないことを話している。書いてはいけない。それは私ですか。私には秘密は存在しないですか。私に宛がわれた個室は隙間のあいた薄い引き戸で居間と繋がっている。「第三者に語らなければならない」。真実は我々を破壊する。真実は私ですか。「第三者」は私ですか。「うそになってしまう」。
 話したそばから忘れていく。歌も思い出せない。「暗いよ、君」。心に残らない。襞が擦り切れた脳味噌のようなつるつるしたマネキン心臓。感情も知覚も意思もありますから私は人間ですか。人間は「私」ですか。もしかりに、人間であるべきでない私であったらどうでしょうか。もしかりには使用できない。
 靄がかかっているが、生きているから私であった。回転椅子に胡坐をかいて肛門から中身が全部流れ出して尽き果てる幻想を想起しながら、眼を閉じて頭を床に打ちつけよう、と私は考えたことになった。排気ファンの音を聞きながら鼾を聞きながら、霞む右目と左目の景色の重なりを、身体の重みを呟く。

1月17日

 うまく食事ができない。
 現実というフィクションが頭の中にかえってこない。という表象が生じたのは、おそらく、フィクションとルールの束の区別がついておらず、ルールというもので「である」も「べし」もごたまぜにひとくくりにできることになっており、現実がルールの束の組み合わせの一つになってしまっているからだ。
 小説、が体験や記憶や事実、そしてそれを構築する肉やらモノやら、つまり、小説が小説になるための支えへの恩を背負わないことで、備忘録でも体験談でも宣伝文でも愚痴でも説教でも恋文でもなく、小説になるのであれば、つまり小説は自分の起源を、自分が生まれた条件を、その拘束を否定するか否認するか、拒絶するのか、ともかくそれによって、小説というところのものに、なる、なりつづけようとする、のであれば、小説は「幸福の約束」、どこにもないところの夢のようなもの、夢より現実的だが現実より現実的なものへ向かう闘争で逃走で、だから反社会性とは、その意味で捉えねばならず、おそらくは、その幸福とは、「所詮は」人「にとって」のものなのかどうか、ということが、というかにとって、とはどういうことか、人とはそこでは何か、が、その反社会性なるもののの内実が、いやじゃあ、社会性って何か、ともわからない、ともかく人も社会も小説も、とりあえずあるとして、その約束が究められる。
 自己保存は幸福なことなのか、「ふわふわ時間」、神様にドリームランドをもらうこと、それは誰の夢か、夢は誰のものなのか、夢は所有物なのか、幽霊は取り憑く、夢にも取り憑かれる、耳から離れない拍子旋律声、ばらばらの記憶、印象、物語る、物語ることで別の仕方で自己保存する、肉は酸化していく。

1月20日

 ふたりの男が道路で会話している。

男1「これ、何だと思う?」

男2「……虹」

男1「虹はどうやったらできると思う?」

男2「……雨が止んだら?」

男1「ふうん」

男1「虹は、雨が、とまって、空が晴れたら、かかるんだよなあ」

男1「雨は好き?」

男2「激しく降るのはちょっと」

男1「ゲリラ豪雨のことじゃあ、ないよ」

「自分が誰だかワカンナイて、おまえ、どういうことだ」

1月21日

 路上には面をぶちまけながらカップヌードルが屹立していた。群雲を眺めていたら蝉が鳴きだした。虫に刺される前から手の甲は赤い。頭や太腿から血を流し、からだの痒みにたえられず呻いている私は、もうゾンビみたいなものかもしれない。眩暈と頭痛が止まない。鼻を啜り喘いでいる。眠るのがこわい。戻ってこれなくなりそうで。昨日の夢はこわかった。休むことはできない。作業が、作業が作業が終わらないで増えていく。寒い。空腹で、

1月25日

 だらしなく、もたれかかった、という形容詞が続けてここに打ちこまれたのは何故なのか、という突き詰める目的の無い疑問でお茶を濁す、なぜ疑問でお茶を濁せるのかわからない、お茶を濁すとどうなるのか、濁ったら何なのか、書きながら考えながらと続けて書いて消してまた書く、のでなく打鍵している。
 打鍵することもなく書くことができる、私ではない、私は誰か、四方八方に乱れて統御できないのは何故気になるのか、気になるのか、気になる事を気にするのか、変換、家毒を考える考えない脳内音声g、音声が脳内にある人、それはどういう慣習化、慣習か、打ち間違えたりする事を、私ではないの志向思考、これ、は、言語。これ、は、言語。嘘を付け輝く液晶唸るファン脳内の声イメージ思考手の両動き良動き内マイ違い背魚、打ち間違いの不制御をさらすことの効果を感じようとする意志、の崩れていく、崩れていくの音がそう気が想起が、誤解御入力のごりゅうにょくの御入力の誤り過ちの感覚が好きで繰り返す
 で約束破ってお前はどうしているの。
 いまどうしている?
 「いまどうしてる?」

1月27日

 さいきんのげんごはみなよくにかよっている「それはおれじゃない」
 虫をたべてしまったかも知れない。

*本記事はフィクションである

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