記憶のなかのSFっぽいポピュラー音楽2つ(好きな人がいること、アポロ)

レギュレーション
・自分が「SFっぽい」と感じるMVで思い出など適当に四方山話
・「SFっぽい音楽」と一緒に「それっぽいSF」も紹介する


JY 「好きな人がいること」2016

上田早夕里「上海フランス租界祁斉路三二○号」2013
『夢みる葦笛』2016所収

ラッセルの思考実験「世界五分前仮説」を経由して架空戦記というか歴史改変SFに思いを馳せる。私が昔に聞いていたこの曲に勝手ににSF感を投影してるという解釈も成り立つ。たぶん部分的には、そう。

でも振り返ってみると歴史改変SFと恋愛ドラマって私のなかでは平行関係だったかもとも思う。時をかける少女とか。あと今思うとミスるたびに反省コーナー入ってやりなおすのタイガー道場っぽい。元ネタどこなんだろう。

個人的に物心つく頃に聞いた桑田佳祐の曲が「愛の言霊」でドラマ透明人間の主題歌だったから、何かこのへんの恋愛ドラマとSFって自分のなかでは近しくて連想しやすい。高野苺「orange」が頭に残ってたとかもありそう。

なんか辛いことがあったとき、King Gnu「白日」みたいな感じでこの曲を聞くことがある。引用する。「ねえ 時間は巻き戻せないけど 何度も何度もやり直せばいいよね 今夜は涙で溢れても 明日笑えればいいじゃない」(「好きな人がいること」)。

やり直したいようなことに限って大抵は取り返しがつかないのだけれど、それでも何か、あがいてしまう。どうしようもなく。それに、じたばたしていると、何かが起こることもある。たまには。

それで知英の曲の「今夜はおやすみ 目を閉じるよ」ってサビの結びのことばが、なぜか、私の頭の中では『けいおん』につながる。こんな一節。「あぁカミサマ お願い 二人だけのDream Timeください☆ お気に入りのうさちゃん抱いて 今夜もオヤスミ♪」(放課後ティータイム「ふわふわ時間」)。

けれど、それだけじゃなくて、こんな曲も脳内で流れ出す。「普通に結婚して 子供を何人か授かって それ以外は幸せとは 誰も信じないようなこんな街で[……]親を泣かせることも 心に嘘をつくのも嫌なんだ いっそ妖怪にでもなって君を 軒下からただ見ていたい[……]僕のこの恋はどうやら うまくいきそうにない わかってる そんなこと 誰よりもわかっているさ だけど 譫言のように 心は君の名を呼ぶから ばれないように心の口を 必死に塞いでいる 僕は軒下のモンスター 僕は軒下のモンスター」(槇原敬之「軒下のモンスター」)。

私は妖怪より宇宙人に憧れた、というか学校であだ名が宇宙人だったんだけど(宇宙人は好きだった。宝島社のムック『ここがヘンだよ宇宙人』の愛読者だった)、でもカミサマに、星にしてもらいたかったことはある。宮澤賢治の「よだかの星」のよだかみたいに。今は、幸か不幸か、そうでもない。

ずっと昔に読んだ星座の本。幼稚園の先生に貰った本。かなしい死にざまを見せた者たちはそのなかで星座になっていた。こんなとき私が妙に湿っぽくなるのは、その本とかこの歌とかの記憶が、心身にこびついて離れないからかもしれない。

「星はみつめます ははうえのようにとてもやさしく わたしは星にはなします くじけませんよ 男の子です さびしくなったら はなしにきますね いつか たぶん」(藤田淑子「ははうえさま」)。この「男の子」の父や母は誰なのか、そんな風に語りかけられる今、実際に生きているのか。私は何も知らないまま、この歌を聴いていた。子供だった。

ポルノグラフィティ「アポロ」2000

樋口恭介『構造素子』2017
2020年に文庫化

これも「僕らの生まれてくるずっとずっと前にはもうアポロ11号は月に行ったっていうのに」と始まっててSFって気分になる。

はじめはレトロフューチャーって気分だったからバックトゥザフューチャーとかに近いという話をしようかと思ったんだけど、観返したら「このままのスピードで世界がまわったらアポロ100号はどこまで行けるんだろ?」とか「僕らはこの街がまだジャングルだった頃から変わらない愛のかたち探してる」だったので、これ樋口恭介SFの雰囲気かもしれない、ってなった。

私は生まれたのが1991で、1989生の樋口さんとそこまで離れていないので、世代的に似たようなコンテンツに触れてきたから近しさを感じたのかな、とも思う。自分の場合、天才てれびくんで流れてた「未来船GO」とかがこのテンションに近いものとして記憶にある。

引用してみる。「海にかかる橋も 空を翔ける船も 100年前は誰かの夢[……]毎日絵を描きたい 太鼓叩いてみたい イルカといつも遊んでいたい 見たいものはなあに 知りたいことはなあに 大好きすきすき 突き進め[……]ほれほれ船が出る 乗るのは誰ですか?[……]誰かの見た夢が ひとつひとつ全部 未来の世界で膨らむぞ 人と違うことも 普通じゃないことも きりりといつかは役に立つ 成功する前に 失敗もあるのだ みんなで最後は笑いましょー」(「未来船GO」)。

思えば世紀末前後ってTV番組が五島勉『ノストラダムスの大予言』を取り上げては盛り上げていた頃で、たしか『ビートたけしのTVタックル』だったと思うんだけど、911のことが『予言集』に記されてたとか真顔で話してる「研究者」が出てきたりしていて、それでもっとまじめなニュース番組でもミレニアム・バグ(2000年問題)なんてのが話題になっていて、それ以前からバブルは崩壊してたし北海道拓殖銀行は経営破綻してたし天才も人災もいろいろ起きてたし何か自分が生まれたからずっと失われた30年だったらしいしなんで私こんな能天気な感じが抜けないんだろうって思うんだけど当時のポピュラーカルいまチャーは夢見まくってた気がする。「今 未来を決めなくちゃダメ? 恋に命をかけてもいいじゃん GO! GO! Ready? GO?![……]やっぱり不安? 考えればもっと不安?! 心配は親に任せ 今できることを やってみるのだ~!」(AiM「GO!GO!Ready?GO?!」)。

だから私は、楽観屋というより空想家に映るかもしれないけど、そして言葉をもてあそんでるだけにしか見えないかもしれないけど、オプティミズムと熱情を口にするのを、今でも嫌いにはなれない。「明るい未来に 就職希望だわ 日本の未来は (Wow Wow Wow Wow) 世界がうらやむ(Yeah Yeah Yeah Yeah) 恋をしようじゃないか! (Wow Wow Wow Wow)Dance! Dancin'all of the night」(モーニング娘。「LOVEマシーン」)。

現在だとそういうのは無責任な幼稚性や無神経なマッチョさにつながると批判されがちで、それも故無きことではない。でも、なぜか当時のそれは、どこかカッコよく映っていた。「この世はわからない ことがたくさんある どんな風が吹いても 負けない人になろう それでも弱い奴 必ずいるもんだ 守ってあげましょう それが強さなんだ[……]今日から一番たくましいのだ お待たせしましたすごい奴」(「バリバリ最強No.1」)。

そんなわけで、まったく筋違いで時代も違うけど、だから例えばこんな言葉も連想したりする。「私共をしてして熱き祈りを、精神集中を不断に継続せしめよ。かくて飽く迄も徹せしめよ。潜める天才を産む日まで、隠れたる太陽の輝く日まで。/其の日私共は全世界を、一切のものを、我ものとするであろう」(平塚らいてう「原始女性は太陽であつた」旧字旧かなを改め、送り仮名を補った)。私は批評で「祈り」とか見かけると、100年と少し前に書かれた、この文章のことも思い出す。

私は無垢ではないけれど、祈りの力は信じている。いまだに懲りずに。
(了)

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