視聴したMVの話01(ラッパーの10曲、日米墨爾南ア、2016‐2020)

はしがき

YoutubeでMVを視聴するようになって暫くになる。音楽雑誌を読む習慣が私にはなかったので、検索とレコメンド機能で視聴するコンテンツをひろげている(友人から聞いたり街頭で耳にしたものもある)。探すとき、昔の記憶に頼ることもある。中途半端な記憶が思わぬ検索結果へ通じることもある。

MVは自分の思考や感性に影響を与えているような気がする。といっても、私はあまり分析するための語彙の持ち合わせがない。ということは、十分に玩味できていないのかもしれない。とはいえ音楽や映像は好きだと言いたい気持ちがある。コミットする人々からすれば、フリーライダーめいた受容の仕方であるにしても。センスは、あるかわからない。おそらくないだろう。

センスがないなりに、でも記憶を記録にする意味はあるし、さらしてもいいのではないかと思うようになった。日記のようなものだ。これまでも何度かMVの体験を書いたが、気負い過ぎていた。手短に書き、続けたい。

同じことを繰り返している気もするが、書いてさらすとよいのは、残ることだ。蓄積する。アテンションはレコメンドばかりに誘導される。だから書く方が大事だろう。一時の恥が残るより、そつなく忘却されることの方がよいとは限らない。私の体験を取り置いておけるほど、私の脳に余裕はないし、この記憶の私的所有にそれほどの意味はない。むしろ、記録しておきたい。

今回の曲一覧

(「裏声で歌へ君が代」)
OKBOY & Dogwoods『Pyramid』2020 (Track by Yung hiropon)  日本
YDIZZY × BLAISE『INAINAIBAAAA!』2020 日本

(陰謀論の気分、ホラーゲーム感)
KAKTOV『REPTIL BOI』2019 アルゼンチン
La Banda Bastön『LOCO』2016 メキシコ

(精神的ブラクラ感)
GHOSTEMANE x Parv0『I duckinf hatw you』2019 アメリカ
CPCPC『MUKASHI BANASHI』2017 日本
MAKKENZ『火葬』2016 日本

(「こどものじかん」)
That Girl Lay Lay『Supersize XL』2019 (feat. Lil Blurry & Lil Terrio) アメリカ
DIE ANTWOORD ft. G-BOY『DntTakeMe4aPoes』2019 南アフリカ
Itaq『神に選ばれた男』2018 日本

「裏声で歌へ君が代」

OKBOY & Dogwoods『Pyramid』2020 (Track by Yung hiropon)  日本
YDIZZY × BLAISE『INAINAIBAAAA!』2020 日本

始めはこの4月に出た曲ということで並べたが、つい、何か言いたくなる。裏声や鼻声、あるいは低い声が耳珍しく思ったから、印象に残ったのだろうか。特に後者は、D.O『悪党の詩』2012のMVを思い出しながら視聴した面もある。もちろんそれぞれ全然違う意匠だとも言えそうだ。音楽バラエティとハンディカム風の意匠でできた『悪党の詩』MVと、アメリカなどの砂漠に見立てられた海岸沿いの砂丘での(タラウマラ風の?)ヒッピー的な意匠で構成された『Pyramid』、街の廃バスや廃ビルを舞台にブロックノイズめく加工を多用したINAINAIBAAAA!』……というように、一緒くたにするにはもったいなくも思えるが。――言いたかったことが迷子になった。たぶん、メッセージと声色の話がしたかった。私は素朴な声色で切実な話を歌う曲も好きだが、それだけを現場的だと愛好できるほどにはそこに没頭できない。というか例えば、こうしてコンテンツになってしまえば自分の信念も赤誠もこだわりも、よそから見れば一つの意匠に過ぎないという感じ方の方が肌に合う。かといって商品としてのウケだけを信じるのは、ましてや――信じるだけなら――それを言い張るという弥縫策を真理の布教と勘違いするのは、大いに慎むべきことだと思っている。――何にせよウケれば勝ちなんだよ、と口にする時点で、ウケではないものの権威に頼ろうとしている。力こそが正義だと本気で信じるなら力は正義だなんて口にしない方がいい。物珍しさというのは、私にとっては、そういう力だ。そしてもちろん、ここで挙げたラッパーたちは自分が物珍しいとは決して口にしないだろう。ただ、歩ける道を歩いているだけである、かのように映り、聴こえるから、それ相応の徳と真剣を私はここに見出すことができる。――虚実の皮膜が滋味豊かなように、奇抜と実直のあわいが私は一番おいしく味わえる(傍目には、調味料過多かもしれない。私はその意味ではジャンキーだ。だけど健康食品も食べるしサプリも摂る。ラーメンやポテトチップスと同じく、一種の嗜好品として)。

陰謀論の気分、ホラーゲーム感

思いついたことを書こうとしていただけなのに長くなっていた。サクサクと書きたい。次の2曲はどっちも南米地域の、スペイン語の曲だ。MVの内容というより自由連想に近い話をする。さっきもそうだったかもしれないが、こっちの話の方が言いがかり(より個別的で私的なルートでの連想)に近いと自分では思っている。

KAKTOV『REPTIL BOI』2019 アルゼンチン

Kaktovは、『62』や『KONGO』を視聴して以来、定期的に検索するようになった。アルゼンチンの他のラッパーの曲を聴くきっかけになった点で私的に思い入れが深い(初めはアフリカのコンゴ共和国のラップを探そうとして、「kongo rap」などで検索して辿り着いたはずだ)。『62』のサイバーゴスにも近し気な内向的で憂いある雰囲気から、線は細くてもマスキュリンな感じが濃くなってきたいるなと思っていたが、REPTIL BOIは何度も視聴するMVになった。ウィンドウ内にウィンドウが連なっていくような演出が脱皮を繰り返す爬虫類めいているのはもちろんのことだが、「REPTIL BOI [爬虫類少年]」という語は、陰謀論へのほのかな関心を私に思い起こさせた。近年の爬虫類人[レプティアン]陰謀論の普及の立役者はデイビッド・アイクなのであろうが、例えば古生物学者デイル・ラッセルのディノサウロイドやドラマ『バフィー 〜恋する十字架〜』の「Reptile Boy [邦題:気持ち悪い男の子]」など、ヒト型爬虫類の造形は90年代以前に遡っても様々にある。私が宇宙人とか陰謀論とかへの関心を思い起こしたのは、2017年にブラジルであるひと(ブルーノ・ボルヘス)が失踪して話題になったニュースだった気がする(寝室にジョルダーノ・ブルーノの像と謎の原稿が残っていたと報道されていた。後にブルーノは家族の元に戻り本を刊行したらしい。本の宣伝だったのではと噂されているようだ)。それは私が幼少期に抱いていた心霊現象や都市伝説などの怪しいカルチャーへの親近感を、復活させた。南米と言えばむしろ、実証主義との縁が深く、例えば、ブラジルの国旗には実証主義者コントから取られた文言が記され、指紋を犯罪捜査に初めて使用したのはアルゼンチンの警察官だったりもするのだが、まあコントも晩年は人類教を始めていたりするし、「実証」という観念と陰謀論や超自然現象への傾倒の間には、何か妙な縁が結ばれている気がする。この曲から随分離れたがそんな無数の記憶がMVの視聴で蠢めき、こうして語るために調べなおすことで関連する知識が増えていく。関連をつくりだしているという方が適切かもしれないけど。

La Banda Bastön『LOCO』2016 メキシコ

家から出れなかった時期を利用してホラーゲームの動画を眺めていた。一度もプレイしたことがないバイオハザードやサイコブレイクのボスを撃破する映像を何度か見た。例えばタイの『Home Sweet Home』や、台湾の『還願 DEVOTION』など最近はアジアのホラーゲームも評判がいいらしい。思えばGhostleg『幽霊の條件』2018などのおかげでこうした関心を賦活させられたところもあったのだった。ホラーには、以前から関心があったのだけれど。同じく一度もプレイしたことがないサイレンや零のようなシリーズも、学校であった怖い話や弟切草ほかのサウンドノベルシリーズも、青鬼もコープスパーティーもゆめにっきも、私の夢想を掻き立てるものだった。そんな風に言いつつも現に私が読んでいるのは、やる夫スレのホラー作品だったりするのだけれど。どうも壊れた回想機械めいた文になる。MVの話に戻りたい。これを視聴したとき、コーラスのどこか間の抜けた感じの雰囲気と裏腹に、舞台である廃墟となった館と思しき場で、石畳の上をのたうちまわり、庭園の土を顔に塗りたくる女性の姿に、逃走するタイプのホラー(ゲーム)の構図を私は想起したのだった。面白かったはこの女性が、追われる側で恐慌状態なのか、何かに憑りつかれた追う側なのか、判然としないような様子に私には感じられたことだ。ゾンビに噛まれたかわからない人間。幽霊か生存者かわからない人影。怪物なのが向こう側かこちら側かわからない、危うい均衡の感触。そこにあるスリルは射幸心にも似ている気がする。B級ホラー映画『ザ・グリード』の「お次は何だ?」の言に託してもよい情感だ。と思う。

精神的ブラクラ感

ネットのホラーと言えば、ブラクラ(ブラウザクラッシャー)だ。1990年代末から2000年代半ばまでのいわゆるFLASH黄金時代には、例えば「赤い部屋」や「ウォーリーを探さないで」など精神的ブラクラ(音や画像で怖がらせる)作品が様々に普及していたようだ。「sm666」で知られ現在も活動しているぴろぴとが代表的な「精神的ブラクラ」作家の一人かもしれない(FRENZ2016に出展の『My house walk-through』はとてもよかった)。もちろん八尺様やくねくね、洒落怖のあれこれの話もしたくなるが、また脱線するので戻す。

GHOSTEMANE x Parv0『I duckinf hatw you』2019 アメリカ

CPCPC『MUKASHI BANASHI』2017 日本

アニメ『Betty Boop in Snow-White』1933を使用した『Mercury』が嚆矢だと思われるが、GHOSTEMANEは、白黒アニメ映像を加工しエクストリーム・メタル的な文脈に結び付けたMVをいくつも発表している。それはゲームやアニメのキャラクターをMAD風に(ときにヴェイパーウェイヴ風に)合成してMVを作ってきた(主に『ReleaseRelease』2015を念頭に置いている)釈迦坊主とコカツ・テスタロッサのグループCPCPCとは異なる出自から生じたようにも見える。しかし(児童向けでもある)アニメのイメージを切り張りし歪曲して侵襲性を帯びたグロテスクな形象を作り出している点で両者には通じ合う点がある。それは例えば、ドラえもんやサザエさんをグロテスクに変形させていたFlash黄金時代の動画、それらの係累と言える原作を執拗に汚損する二次創作群、あるいは小説で言えばウラジーミル・ソローキンの諸作、またエルザゲートにさえ通ずるような、良識的ないしはイノセントなパブリック・イメージの汚損によって達成される、精神的ブラクラの気風である。いわば精神汚染的ホラーとも呼びうる、冒涜的なパロディやキッチュな意匠、内容以前にあるメディア自体の汚損的な質感などによって構成される情緒があって、私は、それに対し大いに感ずるところがあるようだ。以下のMVも挙げたい。

MAKKENZ『火葬』2016 日本

アングラ的、鬼畜的、また耽美的なものと、悪趣味ないしエルザゲート的なパロディとには、通じ合う点ばかりではなく異なる点ももちろんある。その点で言えば精神的ブラクラという言葉は便利だが曖昧過ぎるかもしれない。例えば立島夕子や梶谷令の作品を「検索してはいけない言葉」の一種として面白半分に見るか、それとも切実に見るか。態度決定の間には確かに断絶がある。とはいえ、どちらかの観点にしか立つことができないというわけでもない気がする。気はするが、しかし、その部分をうまく言い表す準備が、私にはまだできていない。ネタの割れたホラー映画を笑いながら鑑賞するような場合も、作品に不実なわけではないし、他方で、(覇権的な)市民感性からして不快ですらあるノイズ的な質感こそを自然と感じるような瞬間や地点を生きる場合も、病的だというわけではない。そう思っているが、言葉が足りない。何度か別のMVと観点と共にこの話をしたい。分析せねばならない。

「こどものじかん」

子供時代についての相容れなくも感じられるいくつものイメージを私たちは持つことができる。それらをリアルな過去に適合する原型と感じるか侵襲的で認容しがたい戯画と感じるかは、同じイメージについてであれひとにより判断が分かれるものだろうし、場合によっては、同じひとでもときところにより判断が変わるものであるだろう。あるべき子供時代、あったはずの子供時代、あるべきだった子供時代、あらねばならない子供時代、……各々が、各々に相応するべき子供時代のイメージを持っているだろう。以下に挙げた3つのMVは私には想像できない風景を描き出しているようにも思えるし私の見知った情念を吐き出しているようにも思える。私は私の中にいる子供の私か、私ではない子供と視線を合わせる。そんな気分になる瞬間があるのは、僥倖なことだし、大切なことだ。そういえば『LITTLE NIGHTMARES-リトルナイトメア-』の動画を視聴した話をし忘れていた。ホラーゲームの話だし、精神的ブラクラの話でもあり、子供時代の話でもある。私はひとりぼっちで留守番していたときのごっこ遊びを思い出す。私はふたりっきりで遊んだ、マンションでの時間を思い出す。私は図書館を洞窟を歩くような気分で探検していた。私は迷路の本を読んでいた。怖い絵本があり、学校の怪談が陳列されていた。ゲームの中で、シックスは大人たちから逃げ回る。シックスは会話しない。シックスは飢え、貪り食う。暗い屋内を、アスレチックのように駆け回り、外に出る。華やかに映った町並み、エアガンの弾が散らばった公園、静かな学校、私の子供時代、私たちの子供時代、悪夢、郷愁、幻想。

That Girl Lay Lay『Supersize XL』2019 (feat. Lil Blurry & Lil Terrio) アメリカ

アメリカの子供時代。その時に歌われた。

DIE ANTWOORD ft. G-BOY『DntTakeMe4aPoes』2019 南アフリカ

南アフリカの子供時代。回想風の悪夢として。

Itaq『神に選ばれた男』2018 日本

日本の子供時代。語られるほかなくなったエピソードとして。

[了]

次回


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