親友であり第二の自分である「ノート」という存在
「ノートは親友であり第二の自分なんだ!!!」
という以前からの私の心の叫びについて語らせてもらいます。
今回は、「note」ではなく、基本は紙の「ノート」のお話。
確か高校3年生くらいから書き始めて、
現在18代目の「なんでもノート」愛用中。
いろんな種類のノートを経験した後、
最近はロルバーンのL(B6)サイズがお気に入り。
方眼のあの小さな1マスに1文字レベルで書いてる。
(つまり、ギシギシ。)
あ、そうそう、トップの画像が、
今使ってるMyロルバーンちゃん。可愛いでしょ。
今回のお話は、「みんな書こうよ!」って趣旨ではないです。
けど、書いて人生マイナスになることはないと思うのです。
もちろん、これを読んで、じゃあちょっくら書いてみよっかな、なんて人がいたら、それはそれは嬉しいよ。
さて、ここからが本題。
わしゃね、書くのが大好きなんじゃよ。
なんでかって?
何も誰も気にすることなく感情を爆発させられるし、書いてるうちに混沌とした感情が勝手に整理されるし、ただの後悔や反省の綴りが課題発見や目標の可視化に繋がるし、書くだけで自分のことをよく理解できるし、あらゆることを記録できるし、
何より楽しい。
何を言っても傷つかない親友ちゃん(なんか可哀想だな)。
ノートに励まされる時は、ノートの中にいる第二の自分が励ましてる。
ただ、第二の自分の働きにも限界があってね。
ノートは時に「共感」の力が弱いので、人間の親友ちゃんの力も頼ります。いつもありがとう。
で、私のノートは、読み返せば、たぶん自分解剖書みたいなものになり得るので、より一層第二の自分的存在。
そして、私は基本、記録するという行為が大好き。
こう思った、こう感じた、という記憶だけ残して通り過ぎちゃうのが悲しいの。
楽しかった、悲しかった、という漠然とした感情だけで終わっちゃうのが悲しいの。
何があって、何が面白くて、何が嫌で、全部書き留めたい。
記録すると、なんか安心する。
(これ共感してくれる人どのくらいおるじゃろ?)
心の拠り所です。
嫌な感情を吐き出した紙をクシャクシャにしたり引きちぎったりして捨てるという方もいらっしゃると思うのだけど、私は絶対に捨てたくないタイプ。
それも思い出だから(笑)。
ノートが、感情や出来事、思考、あらゆるものの「整理」に貢献してくれるのは、「考える」という行為が必然的に伴うからなのかな?
もし世の中にノートを書かない人が多いとしたら、
「書くことが楽しい」に共感できる人が少ないのかもしれない。
楽しい以外のメリットがあるとわかっても、楽しくなかったら、おそらく私もやらない。
書くのめんどくさーーい!って人、もちろんいるよね。
私の友達も大抵そうだと思う。
逆に、書くの大好きなの!!ってめっちゃ言うてる友達には出会ったことないかも。
いたらごめんね。あなた、今度語ろ。
とにかくさ、困ったら、いったんノートに寄っておく。
困らなくても、寄っている。
それがマイライフ。
(なんかちょっとカッコつけた、ごめんなさい。)
私は、日頃からノートをよく書き、XとかThreadsでもよくつぶやく学生だったけど、ついに思いが収まりきらなくなって、ここ、noteにやって来ました☺️
スイッチが入ると、しゃべるのも書くのも止まらなくなる大学生です。
(普段は穏やかな一面もある私ですが、お酒が入るとしゃべるスイッチも入るので、いつも皆んなから「早よ飲め」と言われます。)
ちなみに、レストランに行くと、メニュー全部音読しちゃうタイプです。
(ごめんなさい、どうでもよかったです。)
数日前から、noteを「見る」から「書く」に変わり、今とても幸せです。
書きまくってた高揚感からか、昨日はなかなか寝付けませんでした。
てなわけで、これからよろしくお願いします。
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