折に触れて

経済特区は1978年に深圳・珠海・汕頭・厦門の4ヶ所に設けられた。1984年
以降に経済技術開発区が14ヶ所設けられるが、この二つの概念の大きな違いは国内国境があるかどうかの違いである。香港に境を接する深圳、同じようにマカオの隣の珠海、それに台湾の対岸である厦門、加えて汕頭はそこを出身とする華僑が多いことから最初に外資導入の窓口として外国人に開放する都市にした訳だが、文革中はほとんど鎖国状態と言ってよい中国にとって、いきなり全国を外国人の出入りを許可するのは危険として、それぞれの都市に外国人の出入りを許す区域を設けて一般の中国人には出入りを許さないようにした。そういう国内国境を設定したのである。筆者も深圳や珠海と香港を往き来するときにはその都度パスポートを出して二重の国境を越えた1988年には海南省(海南島全域)も経済特区となる。

 これらの経済特区では輸出入関税の免除や数年間は所得税優遇などの好条件があり、中国の人工費が西側諸国よりも格段に安いなどのことがうまみとなり当初は香港・台湾の資本から始まり、やがて先進国資本も進出を始める。1979年夏に香港から深圳を越えて広州に行ったことがあった、この頃はまだ国境の小さな街で現在の深圳の大都市然とした姿は想像すべくもなかった。長い間、鄧小平の大きな看板が深圳の街角に掲げられていたが「改革開放の設計士」と書かれていた。正に鄧小平は深圳の街の設計士であったのである。


 1984年に始まって1986年までに14ヶ所指定された経済技術開発区は現在、国家級経済技術開発区と言われ、2019年末では54ヶ所が指定されている。当初は大連・秦皇島・天津・煙台・青島・連雲港・南通・上海・寧波・温州・福州・広州・湛江・北海の沿海部に集中していたが、改革開放の進展により、2000年頃から急速に内陸部や東北三省にも範囲が広がって行く。国家級以外にも地方級経済技術開発区があり、地方政府が独自に経済技術開発区を設けて投資を募るようになって行く。経済特区との明確な違いは、国内国境が設定されていないので中国人でも自由に出入りできることにあり、税制優遇面などの点ではほとんど経済特区と変わらない運営がなされている。ちょっとした街には「開発区」というものがあるが、これはほとんどが国家級か地方級の経済技術開発区である。

 中国は社会主義で、土地の所有権は国にあるので例えば工場団地を設けるにしてもマンションを建てるにしても基本的に政府の自由自在である。土地にしてもマンションにしても政府からの期限付きの賃貸になる。この特権を利用しながら中国の官僚は上層部へのパフォーマンスと集金活動に励み始める。


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