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高校生だったら、どんな先生が欲しい?【SDGs表現論DIALOG#9】

こんにちは。インパクトラボ・スタッフの畠です。



 「SDGs表現論 -プロジェクト・プラグマティズム・ジブンゴト」書籍化(3/31出版)にあたり、SDGsに取り組む大学生・高校生と、書籍の内容をもとに「SDGsに取り組む」ことについて対話する企画が「SDGs表現論DIALOG」です。
著者である山中 司(立命館大学生命科学部教授)と上田 隼也(一般社団法人SDGs Impact Laboratory 代表理事)とゲストの方々との対話をお届けします。

 SDGs表現論は、一人一人が「自分ごと」としてSDGsをどう捉えるべきかについて、考える機会を提示するものです。キーワードは哲学としてのプラグマティズムと、方法としてのプロジェクトです。個々の興味、関心、問題意識は、必ずSDGsにつながるという信念のもと、一人一人がマイプロジェクトを立ち上げ、そこにSDGsを乗せ、まず活動してみることを提案します。戦略的にSDGsの視点を入れ、一人一人が社会を変える主役になるべきことを強く訴えます。2019年度立命館大学教養ゼミナールとして開講され、2020年には大規模オンライン講座JMOOCにて開講し、約5000名に受講されました。


 今回は、滋賀県で様々な活動を行なっておられる田口真太郎さんをゲストにお招きしました。
 はじめに、ゲストの田口さんからSDGs表現論を通して彼自身が気になるトピックについてお話し頂きました。

田口 僕はこれまで滋賀県近江八幡市を拠点にまちづくりの活動をしてきましたが、新しく4月から大学の研究員・非常勤講師を務めることになりました。滋賀県教育委員会とも交流があったので、どうやって教育における滋賀県を作っていくか?というのは常に大きな問いでしたね。政策を考えたり行政の会議にも多く出席してきましたし、『活きた政策を作る』となるとやっぱり多視点の獲得が重要になってくる。滋賀県には教育熱心な人が多いので、そういう意味ではやっぱり高校生のうちからたくさんの視点を獲得できる「探究学習」は今後より重要になってくるかと思いますね。今回のZoomで行っているダイアログを仲間と行うとか、お互い何を考えているのかの共有とか!滋賀県主導じゃないとできないような大きなことでも面白そうですね。

山中 なるほど。教育の一般論にはなりますが、「人は教えられたようにしか教えられません」よね。子どもの可能性を先生が潰してしまうといったのは避けたいものです。しかし、大人からしてもやってないこと(探究など)を急に教えろと言われても困るし、それによって言葉が先行してしまったり空虚になりがちです。学校法人立命館の行うキャリアプログラムでも、Next Leader Programというのがあって、ライターの畠さんも参加してくれていたね。そこでは優秀な附属高生が集まってくるわけだけど、もちろんその状況には先生たちも苦労する。急に先生になるというか。生徒のレベルが高い意見にはそれ以上のことを返さないとと思うけど、そんな気の利いたコメントにも慣れていなかったりするしね。
探究の授業も一緒で、コーディネートするのはすごく難しいんです。みんながみんな先生の求めることをできるかといえばそこは不安だし、ジブンゴトにできるかといえばそこも不安。生徒に求めることを自分がやったことないことがほとんどだし。本来の質はそこじゃない気がする。

大人の立場と探究


田口 僕が関わる様々な場所・役割・活動の中でも、僕自身はチャレンジ精神がある方なので、中々周囲と噛み合わないなあと思う部分も多々ありました。若い人の意見が通らない、とかね。Zoomなんかは、今となっては若者や働く人たちの便利なツールですが、大人はまだ戸惑ってばかりな状況もあります。オンライン会議でも使い方の勝手がわかっていなければその場はごたついてしまうし。そういう意味では世代間で足並みを今すぐに揃えるのは厳しいと確信しましたね。SDGsなんかも、言葉の普及はしてきていますが実際のところそんなに突き抜けてはいない。それはやっぱり理解共有の浅さがあるからだと思います。大人が「僕らも探究してます!」と大きな声で言ってもいいと思うんですけどね。

山中 そうですね。大人にはプライドがあるから難しいところです。「やれ・やる」というサイクルが出来てしまうとボトルネックになりますね。

田口 今の社会では企業でも行政でも、若い人が積極的に思ったことを発言することがますます難しくなってきていると感じます。でも、同世代でSDGsなど社会課題をテーマに活動している人たちが集まれるイベントに参加した時に、同世代の仲間と考えの共有したり、対話を通じて新しい価値観に触れるような経験をすることで、そこから今まで以上に積極的に走り出せる人が生まれるのを見てきました。その体験は、本当に不思議だなあと思いました。まるでお互いの背中を押し合う、みたいな。そういった事が滋賀県でもできないかな〜と考えているところです。

山中 行政って複雑で、大事な職業なんだけどそういう組織めいた中で埋もれてしまう人がいて、上に行けばそれはそれで不完全燃焼になってしまう部分がある。若くして教師になっても、夢や大志を抱いて挑むんだけどリアルを垣間見て典型的にしかなれない、って感じ。本当は力を持ってるんだけど、大人もそこを出せないともったいないですよね。

田口 興味深いですね。最近、特に若い世代は、時給で自分の価値を見出す風潮があるように思います。成功体験を積んだり、それこそ学校の教員は、自分の可能性を伸ばせると自分自身の価値を見出せる、それは時給では測れないものだと思うんです。

探究の普及とともに教育への変化を


上田 高校生の生徒って本当に知的欲求がすごいんですよ。僕がつけているアップルウォッチ1つでも質問してきます。他にも質問攻めを食らって感じました。ただ生徒は、学校では教室に閉じ込められているから、それを放出できずにいるんだと思います。そういう生徒の可能性を伸ばすためにも行政が歩み寄るのか、学校が歩み寄るのか、そういった部分が重要になってきますね。先生も同じで素敵な好奇心があるということも教育現場でちょっと働いてみて感じました。

山中 その話に繋げるなら、小学校って、先生たちは非日常をどれだけ作り上げるか考えていると思います。やった事ない・考えた事ないを子どもに提供して興味を引き立たせている。それこそ遠足とか校外学習とか行事を多くしてますよね。何かをしよう、とは大人は考えるんだけど、花火を打ち上げて終わってしまうみたいな。やっぱり遠足とか、そういうルーティーン的なものになってしまう。教えるプレーヤーはいるんだけど、カリキュラムとか政策を作れる専門の人が少ない。探究でも、変に専門的になりがちで、みんなでやろう!が言えないんですよ。もちろん、教育者はみんな真面目だから、生徒のためを思っているんですよね。だからこそ、あえて違う色を入れる、すなわち組織や制度を変えていく事が重要かもしれません。

田口 学習し続ける状態って先生にもあっていいと思うんですよね。書籍とか読んでてもそう思いますし、探究学習に対する「教える」ことは確立されてない分、生徒には「先生もわからないんだよ」ってオープンにしても受け入れてもらえんじゃないかと。
 僕はあえて先生とは呼ばせないですね。それこそ地域のおっちゃんとか、その方が生徒との心理的距離も近くなると思います。実際仲良くなるし、そういう心構えのなさも良さですね。

上田 そうですね。僕は研修とか受けてても逆に、「探究の教え方がわかる」って何だろう?と思います。教科学習がいきすぎてて、教えられたらうまくいっていると考えがちなのかもしれません。できないことを悲しむよりも楽しめたら良いですよね。探究の先生もそれこそ田口さんが仰っていたように外部の講師の方がいいのかもです。

山中 探究と既存の教科は水に油なのかも。ただただ覚えたものを吐き出すみたいになると、突き詰めすぎてしんどいんですけどね。「子どもたちの話も相当役立つよー」っていうスタンスに教師がなればいいんですが、中々そこは越えられない部分です。実はそこが探究の授業の中で先生への文科省の狙いでもあるのかもと思ったりもしますね。部活動でも外部コーチがつくことが増えていますがトラブルメーカーになってしまうこともあれば教育の上ではいい部分もたくさんある。勝ち負けじゃないとかプロセスが大事とか。なので、直すところは直して進めることは進めるみたいな。不安と可能性を感じながら進むのが次の教育って感じがします。

学校の存在意義

上田 探究の中でも、教員は右肩上がりに生徒の成長を期待しがちですが、プロジェクトが完全に白紙に戻ってしまうことだってあります。失敗だけじゃなくて完全に振り出しに、ゼロに戻る感じです。なので、教師は成果報告になるとこうすればよかった、ここがだめだった、などネガティブな発想になっていってしまう傾向があると感じます。

田口 上田くんの言っていたスパイラルアップの(右肩上がりに成果が出ること)話を聞いていて、探究の先生=見守り隊でいいんじゃないかと感じました。論理的な手の差し伸べが必要な時は出動するし、失敗を気づかせるんじゃなく、失敗から気づきが得られるかを生徒に期待していいと思います。大きな怪我をしないようにする程度で。僕の経験からも、若者って立ち直りが早くて再生や成長のスピードも驚くほど早い事がわかりました。本当に若いってすごいです。

山中 そうですね。おっしゃる通りで、先生は「何かしないと」と考えがちで「待つ・言わない」が本当に苦手。先生の気合いが入りすぎてると生徒もしんどいし、ある程度の無責任さも大事です。実は探究は学校で行ってはいけないのかなと思ったりもします。上田くんのスパイラルの話からも、学校ってセーフティーネット上のものだと感じたね。責任を負わずに失敗できる、失敗していい場所だって生徒に気づかせるのも大事ですね。先生もわからないなりにもがいて良いと思います。ただ、教科が邪魔をしてしまったり、色々本当に複雑ですね。先生は真面目でも、常に一緒にはいないので生徒にもある程度の期待はしますしね。

田口 面白い。僕は学校外の人間なので、逆に好き放題ものを言えます。先生に期待することは選択と集中をしないことですね。優秀な子だけにリソースを割く、みたいなのは不平等。少しでも可能性を秘める中で経済や資本を抜きにしたものを生徒にもたらしてほしいですね。

上田 僕は、立命館守山中学・高校にいる200名くらいの教職員の中で唯一探究の授業だけをやらせてもらっている身です。(それに、教員研修で初めて気づきました!笑)僕は恵まれてずっと探究しかやってなくて良いんですが、他の先生は掛け持ちがあったりするので複雑ですよね。もっとそういう人が増えてもいいのかなと思いますね。ただ、Slackとか、ロイロノート、Classiで管理されている状況ができてきて学校がビジネスな状態にならないか心配です。生徒の反応がどうかとか、今後に危機感や違和感を覚えることもあります。

山中 各地方の進学校1位や2位の学校なんかは授業が機能してないですよね。先生を先生と思わないみたいな。自習みたいになってしまっていて、それなら探究で良いのかなと思ったり。もちろん道徳や掃除なんかの習慣の習得は学校のいいところです。しかし、ビジネス的になるとそういうのを教える塾が出てきたりして、そっちへのプライオリティが高まってしまいますね。先生たちの思う問いで探究を進化させていくべきだと思いますね。学校って心を豊かにするはずのものな気がします。面白いし難しいよね。

上田 コンセプトを決めないと塾、会社みたいになっていく気がしますね。生徒は社員みたいな。学校に何があるのかとかを捉え直さないととは思いますね。


田口 なるほど。既に、生徒の好奇心の搾取は始まっている気がします。マーケティングとかプログラミングを早くから学ぶのはすごく楽しいけど、興味・関心は内発的に育つもので、夢とかやりたいことは、若いと時はもっと抽象的なもので良いと思います。ぼんやりしてていい。今ではSDGsみたいな範囲の広い良い例もありますしね。最近は受験スタイルもAOとかがありますし、先生はそこで「この生徒は誰よりも早くに決断する力と目標があった」って言いたいのかなとか。わからなくなっていきそうですね。

山中 確かに、なるほど。かの有名なハーバード大学とかは、試験なしでエッセイを書かせるんですね。それこそ全員が夢を書いても受からないし、いかに高校までの活動を語れるか、に目が向いてる。そんな早くに語れなくても良いと思うよね。そうなると日本は余計世界で戦えない。となると、違う方法で戦える武器を見つけるのが日本の役割なのかもですね。例えばSDGsとか。教育の分野で高く評価されたりもしてて、それこそ文科省の狙いかもですね。

田口 その話から行くと面白い話がありました。先日、立命館守山の高校生が、みんな探究が好きだと思うな!って言っていて。市役所の人がびっくりするみたいなのがありました。結局大人は子どもの可能性を信じられてないんですよね。

自分が高校生だったらどんな先生が欲しいか


上田 今の僕みたいな人ですね。今ある教育と受けていた教育が違いすぎるので、自分が欲しかったものを提供したらみんなが好んでくれるのかなと思ってやってます。いろんな人と繋がれたらな、みたいな。

山中 勉強させてくれる先生ですね。僕の場合はひねくれてたと思う。それこそ僕からしたら探究はおせっかいなものだったかもですね。斜めに捉えて興味がわきませんって言ってたかも。

田口 真剣に対話してくれる人ですね。僕も勉強を効率的に教えてくれる人がいいって高校生の時は思ってましたが。クラスに40人もいれば先生はキャパオーバーになりがちだと思うので、一人一人と真剣に対話してくれるような先生がいればいいのではないかと思います。学生ひとりひとりと向き合ってくれて興味を持ってくれる人がいれば、面白くなりそうですね。教師は親ではないことが特徴なので、数少ない思春期に心を開けるのは先生かなと。ただ相当のコミュニケーション能力は求められますが。

ここまで、対話の内容を抜粋してご紹介しましたがいかがだったでしょうか。紹介できないない内容もたくさんありましたが、様々な観点から議論が広がっていました。

ライターの私自身、田口さんとは、以前、近江八幡市のキャリアプログラムでご一緒させていただことがありました。また、立命館守山のOGでもあり、授業では山中先生・上田さんには大変お世話になりました。そんなお三方の対話には今後の教育や大人の在り方への可能性が存分に詰まっていました。


さいごに

 最後までお読みいただきありがとうございました。インパクトラボでは、SDGs表現論などSDGsと教育に関する講演やセミナーを実施しております。

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