見出し画像

57歳米留学・就職・永住権取得記(1) パフェとホロコースト

以下は、私が57歳の時、ニューヨーク州のコミュニティカレッジに留学した時に、ある業界新聞に寄稿したエッセイ。「ホロコーストの歴史」という授業を履修した時の思い出である。私のシニア留学レポート第一回目ということで、是非。

コミカレ留学こぼれ話
「パフェとホロコーストの歴史」


 「ホロコーストの歴史」という授業中、ずっと気になっていることがあるので、この機会に少し言っておきたい。それは、超かわいい金髪女子の、ある行動である。
 私は現在、NY州立のコミュニティーカレッジで学生をしている。転入学が容易で、年齢層、人種、国籍、経歴は実に様々だ。授業の定員も25人以内と少なく、きめ細かな指導が受けられる。州立のため、地元民には学費も安い。そのカレッジの中で、私が特に意義を感じる授業が「ホロコーストの歴史」だ。ナチスドイツによるユダヤ人虐殺の歴史を、今、詳細に学んでみると、安倍政権のやり口と酷似していることに、度々戦慄する。だから「今こそ日本の学校で、過去の侵略戦争を語り継ぐべきだ!」と痛感し、出席しているのである。
 そんな意義深い授業中、ある女子学生が、必ず教室でパフェを食うのである。手作りらしい。生クリームと果物・乾物の豆類を混ぜ、縦長のガラス容器に綺麗に詰めて来る。それを必ず食う。実に美味しそうだ。先生も「ぜひ、作り方教えてねッ」と笑顔で言っている。
 しかし、授業はホロコーストだから、話の内容は凄惨を極める。例えば先生がユダヤ人狩りやガス室の構造、犠牲者数を説明している時、彼女はカチャカチャと匙の音をたて、パフェを食い始める。しかも容器がでかい。高さ18㎝はあるから、スタバなら「グランデ」である。なぜ大量殺戮の話を聞きながら、グランデなパフェが毎回食えるのか。週二回、火曜と木曜の授業中、朝10時頃だ。なぜ今なのか? 月・水・金は他の授業でも食うのか?など、疑問は様々あるが聞けない。しかも、彼女は決して不真面目でなく、「ナチスと芸術作品」の主題で自主発表も行った。内容も態度も、実に堂々としていた。 
 私はこの生徒を非難しているわけではない。そうではなくて、文化・習慣の違いに驚くのである。いや、この程度で驚いてはいけないし、アメリカで仰天することはもっとあり、それは語り尽せない。しかも、パフェを食うことが民主主義に反するかというと、そうではない。ただ数十年、日本の教育現場にどっぷり浸かった私からすると「なぜ?」と思うのだ。日本人の常識や感覚は、必ずしも他国では通用しないという一例である。
 私は最近、日本の部活動も一種の「ホロコースト」ではないかと考えている。「部活動」に関する労働環境が、ナチスがユダヤ人虐殺に突き進んだ経緯と重なるのだ。共に巨大権力下での事例というのは当然のこと。その他の共通点を三つ挙げると、第一に強制無償労働であること、第二に沈黙が被害を広げたこと、第三に当事者の見栄と出世欲、忠誠心等が原動力になっていることのである。
 例えば、ユダヤ人は殺される前、強制収容所や指定企業での無償(または超低賃金)労働を強いられた。これは日本の部活動顧問のボランティア残業と重なる。また、欧米諸国はナチの蛮行を知りつつ沈黙していたし、ドイツ国内でもユダヤ人以外には他人事だった。それどころかユダヤ人狩りは隣人の密告によって機能した。つまりナチでなく、市民が互いに監視し合い、殺戮に加担したのである。日本の学校でも部活反対や顧問拒否は一種のタブーだし、互いに忖度し、部活強化の道を突き進んでいた。また、ホロコーストで虐殺を実行したナチス党員は、任務を放棄する機会があったのに放棄しなかった。理由は仲間から「弱虫野郎」と言われたくなかった、出世欲或いは職歴に傷をつけたくなかった等と証言している。日本の教員にも共通する心理である。誰もが、「あんた、ラクしたいのね」などと後ろ指を指されたくないのだ。
 当事者にとっては「正しい」道だったホロコーストが、後世や外部からは「尋常でない」と評価される。同様に数年後、或いは十数年後、日本の部活動に関して「なぜこんな異常な時代があったのか」と想起される時代が来ることを、私は強く願う。

いいなと思ったら応援しよう!