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『良くしようとするのはやめたほうがよい』を久しぶりにひらいて

お世話になった方が、村田由夫著『良くしようとするのはやめたほうがよい―ドヤ街から、アルコール依存や登校拒否を通して、「生き方」を考える―』をフェイスブックで紹介していました。この本の著者の村田さんは、寿の誰もが知る大御所です。

この本は、私が寿の青少年に関わる活動のスタッフとして働き始めた20歳の時に頂いたもの。久しぶりに開いてみて、この本や寿に関わる人たちから大切な価値観を教えてもらったのだと実感しました。

20歳の夏

私はカンボジアの農村で1か月間、教育支援のボランティアをしました。その頃の私は「国際教育協力をしたい」、「途上国の教育の問題を解決したい」と思っていました。

そうして訪れたカンボジアで過ごすうちに、「なぜ私はわざわざカンボジアにまで来てボランティアをしているのだろうか?」「自分が関心を持っている貧困や教育の課題は途上国に限ったことなのだろうか?」「身近なところで自分にできることはないのだろうか?」と思うようになりました。

その後日本に帰ってきて、日本の子どもの貧困について考えていたと思います。しばらくして、あるニュースをきっかけに寿地区や簡易宿泊所のことをを知りました。それまで知らなかったんですね。寿地区は高校時代に自分が通っていた塾の近くだと知り、当時からその周辺の独特の雰囲気が気になっていたことを思い出しました。きっと寿地区にも子どもや若者がいるはずだと思って調べてみたところ、偶然フェイスブックで外国につながる子どもの学習支援スタッフの募集をしていて、気づいたら寿に飛び込んでいました。

そうして、寿でスタッフとして働くことになった時に頂いたのが、この本でした。


良くしたいと思っていました

私が寿と出会ったころはきっと、寿の「問題」を解決したいという考えがあったと思います。「困っている路上生活者」、「相対的貧困家庭の子どもたち」、「問題を抱えたアルコール依存症の人」そんなイメージを抱いて、「助けたい」「困ってる人の役に立ちたい」みたいな生意気なことを思っていたのでしょう。

でもそんな考えが自分の中にあるうちは、子どもたちや親の言動を理解しようと思ってもできなくてモヤモヤしたり、相手からも受け入れてもらえなかったし、自分の価値観に照らし合わせて「どうしてこんなことをするんだろう」と勝手にショックを受けたりしていました。(その頃のメモを見ると、自分の文化のものさしで相手を見ていた自分に腹が立ちます。)

著者の村田さんも、アクションで「社会を変えられるし、それを通して個人も変えられるという風に私の中では思っていた」そうなのです。村田さんはそういう思いを持ちながら寿の人と関わる中で、「変わらない」現実や、寿の人から「お前は関係ない」と言われるなどのことに悩んでいたようなのです。

あの村田さんも昔はそうだったんだ、と少しほっとしました。

村田さんはさらにこう言っています。
「私が10年間苦労したのは、寿町の日雇い労働者の人達を私の力で、何とかしたい、コントロールしたい、なんとかできると、そういう先入観、人間観があったからですね」と。
「医療や教育や福祉が持っている、「良くする装置」の中にある大変人間を追い詰めていく何か、それは非常に大きな問題だと気づかされてきました。」とも。これってすごく大事な視点ですよね。

私も、はじめのころ「どうしたら〇〇できるようになるんだろう」「なんとかして〇〇してあげよう」などと心のどこかで思って接してる間は、相手との間に摩擦ができていました。子どもからキツいことを言われたり、自分もどう接していいのか分からなかった。そんな摩擦がつらくて、「また殴られるし、嫌がられるし、来週行きたくないな」なんて思うこともありました。

でも、ある時から、郷に入っては郷に従えだ!自分の価値観とか考え方はいっかい忘れてしまえ!と思って寿の人と接するようになってから、だんだんと打ち解けていった気がします。自分の文化が変容していったのです。

そうやって、寿の人たちと一緒にいるうちに私をまとっていた殻がぶっ壊されていきました。

寿の人たちはとても強く、優しく、豊かでした。

私が、「問題」と捉えていたこと自体が問題だったのだと気づかされました。

気づかぬうちに偏見や固定観念を持っていたことを突きつけられました。

「問題」に焦点をあてるのではなく、そこに生活する人のもっている力や資源、文化、生き方を見つめ共に生きていくことの大切さを教えてもらいました。


「良くしようとするのはやめたほうがよい」という言葉は、決して、社会の構造的な暴力を放っておけばいい、ということではないと解釈しています。

きっと「個人」の「生き方」を勝手に「問題」と捉えて「良くしよう」なんて考えるなということだと解釈しています。もっと、一人一人の多様な生き方や個性を、なにが良いとか悪いとかではなく、ありのままに認めあっていこうということかな、と思います。

いろんな生き方をごく当たり前に尊重できる社会になればいいなと思います。

社会の偏見がアルコール依存症からの回復を阻んでいる

この本ではアルコール依存について詳しく書かれています。

アルコール依存には、だらしないとかどうしようもないとかいうイメージがつきまといがちですよね。特に寿だとワンカップを持ったおっちゃんが、道端で寝てたりするから、「寿にいるのはどうしようもないやつ」とか思われたりします。

でも、村田さんはそれは違うんだということを言っています。

アルコール依存は「人間」の問題ではなく「病気」なんだということ。
「おまえの盲腸はお前が東大卒だから、早く治るかもしれない。」なんてバカげたことがないのと同様に、寿だからアルコール依存症は治らないとかってことはない、と村田さんは言います。

アルコール依存症から回復しなかったのは、本人の問題ではなくて、社会的な偏見があって、正しい治療が行われなかったからということがいえると。

寿にきたからアルコール依存になるわけではなく、様々な事情からアルコール依存になって行き場がなくなって寿にたどり着く人が多いそうです。
もっとそれぞれの家庭や職場、地域などでアルコール依存に対する理解が広まって、早い段階で適切なサポートを得られたら、なにか違ってくるのかもしれないなと思いました。

「変えることはできないけど変わることはできる」

この本の中で一番好きな言葉です。
それまで「支援」に関わる中で「気持ちわるい」と感じていたものがストンと腑に落ちた気がしました。

変えるっていう言葉はなんだかおこがましいし、うさんくさいし、それどころか暴力的な感じがしていました。

例えば、私のことを大して知りもしない誰かが私のところにやってきて、「もっと〇〇した方がいい」なんて言われたら、腹が立つと思います。

それでも、人は変わりたいと思う時があります。自分から。ふとしたこと、何気ないことがきっかけだったりします。それがたった1人の人との出会いだったり、本だったり、音楽だったり、スポーツだったり、それは人によって違いますよね。それはその人が本来持っている力、うちから湧き出てくる力です。

村田さんの言うように、「人には変わる可能性がある、要素をいっぱい持っている」のでしょう。

変えようとするのではなく、その人が変わろうとするところに寄り添って力になれたらいいなと思います。

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