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睡眠を阻害する新たな刺客

「今日こそは安らかな眠りを確保するぞ!」と意気込んでベッドに入ったわたしを、睡眠障害でも悪夢でもない、予想外の刺客が襲ってきた。

そう、『隣人』である。

この家に引っ越してきたときにはもう世間はコロナの渦中。隣の部屋からは昼夜問わず話し声が聞こえており、会話はしているもののどうにも聞こえてくるのはひとり分の声だったため「リモートワークなのかな」くらいに思っていた。

だがしかし、睡眠障害真っ只中のわたしにとって深夜2時3時の笑い声を「リモートワークなのかな」などと悠長に労う余裕はない。けれど、もしかしたらこんな夜中にまで会議をしなければならないような非常にブラックな企業にお勤めなのかもしれない。隣人には忍びないが、壁に耳を当てて会話の内容にすこしだけ聞き耳を立ててみた。

するとどうだろう、なんとルーマニアのドラキュラについて熱く語らっているではないか。

隣人はどうやらブラック企業にお勤めな訳ではなく、単にこのシルバーウィークの夜更けを持て余し、友人か誰かと異国の吸血鬼についての議論を交わしているだけだったのだ。道理で、笑い声があまりにも大きすぎる訳だ。それから暫くの間、壁に耳を当てなくても『ルーマニア』という単語がわたしの部屋の中にこだまし続けた。ルーマニアのドラキュラ談議は30分以上続き、挙句の果てにわたしは気がつけばルーマニアのドラキュラについてGoogleで検索して調べてしまっているではないか。完全に隣人の掌で転がされている。悔しい、悔しすぎる。すっかりわたしは『ルーマニア』と『ドラキュラ』と『隣人の彼』の虜になっているではないか。なんたる敗北。

「こんな時間だし流石に眠るだろう」というわたしの浅はかな願いを分刻みで打ち砕き続けた隣人は、もうおよそ2時間ほど大きな声で笑い続けている。読みが甘かった、そんなにルーマニアの歴史は浅くない。

警察に騒音の通報をしようかとこの数時間のうちに幾度も考えたものの、やはりまずは管理会社に連絡を入れるのが1番だと思い結局110番は押せなかった。というのも、わたしの住んでいるアパートはワンフロアに2部屋しかないために、たとえどんな形で騒音被害を訴えたとしても隣人にはわたしが通報したことがすぐにバレてしまう。なんとなく、それはちょっと怖かった。

それに「こんな時間に友だちと楽しくルーマニアのドラキュラのことについて笑い合っている人間なんて、そんなに悪い奴じゃなさそうだしな」などと隣人によくわからない同情すら湧いて来てしまったわたしは、余計に110番を押すのが躊躇われた。なんだかもう、通報までするのは可哀想かもな、などと考えてしまって。充分にわたしは騒音被害の被害者ではあるけれども。

とりあえず今日の昼には管理会社へ連絡をして、暫くの間はキッチンから芳ばしいニンニクの香りを漂わせ続けたりなんてしてみようかしら。

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