怒りとは ~アンガーマネジメント~
怒りについて、コントロールしたいと思いますが、今回学んだことについて結論を書くと以下になる。
自分の身の安心安全のために必要
誰もが持つもの
なくすものではない
次へのモチベーションにするもの
若くても思うかもしれないけれど、怒りというものをいくつになってもコントロールできない。
いつか怒りのない平穏無事な自分になれないか、
落ち着いてものごとを話せるようにならないか
怒りがなかったらおかしな判断、変な行動しないのに
と思っている。
今回の学びを整理していく。
自分の身の安心安全を守るもの
怒りは自分の身が脅かされるときに発生するものということ。
本当にそうだろうかと思い自分の例を考えてみた。
犬が言うこと聞いてくれない
信頼した人が期待よりかなり低い状態のとき
これは果たして自分の身を脅かされていることなのだろうか。
ちょっと分析してみる
犬が足をかむ
痛い
嚙まないように言う
もちろんわからないからもう一度噛む
もう一度ぎゅっと掴んで噛まないようにと迫力で伝えてみる
やはりわからないから噛む
一度小屋に入れてみる
出してみるともう一度噛む
伝えているけど、伝わっていないことへの怒りなのかもしれない。
伝えているけど、相手が理解していないとなると、伝えるこちらの工夫が必要だが、「伝わっている」と思っている、思いたいということだが、犬の行動としては噛む。
伝え方が悪いのに、似たような方法で伝えてしまう。相手に伝わらなくて、自分の「嫌」という価値観が相手に理解してもらえず、相手の行動が変わらない。それによって、確かに身の危険は感じるかもしれない。
→こいつはわからないやつだ!
2つ目も同じことだ。伝えているが、「伝わっておらず」「理解されていない」状態であり、自分の価値観が伝わっていてほしいが、伝わっていないことにより、身の危険を感じている。
「自分の身」に危険が及ぶということは、
つまりは自分が大事にしているである以下が含まれる
からだ
こころ
感情
価値観
に危険が及ぶ可能性があるときに怒りがわくのだと。
そしてこの自分の価値観に他者の価値観によって責められると戦争になったりするのだろう。
怒り以外の感情も結局は自分の身(体、心、感情、価値観)に影響があったときに内側から自然発生するものだ。
誰もが持つもの
感情は誰もが持つものである。そして自分の身(体、心、感情、価値観)は異なるから、人によって発生する感情の種類やタイミングや強さも変わるが、感情は必ず人の中から発生するものである。
そして発生した自家製のものであるけれども、コントロールが難しいときには、感情によって体や心を傷つけられてしまうこともある。
なくすものではない
では、怒り(感情)はなくした方がよいのだろうか。
いや、そうではないだろう。感情をなくし、理性によって判断されるようになったら、それはAIにしかならないと思う。
人それぞれ能力の上下はあるものの、理性だけでは頭の賢い人にはかなわない。
感情によって、人は動かされ、世の中が騒がしくなる。
しかし、これによって、感動を生み出すものへと変わったり、変革なども生まれる。
そういったごちゃごちゃしたこと自体、あまり必要ないということもあるが、人間として生まれてきたのだから、感情に振り回されるのもよいのではないかと、大きな心で思いたい。
次へのモチベーションにするもの
感情によって世の中は騒がしくなり、暴力など被害を被る人も出てくることはある。
しかしたいていの場合は、感情によって起こしてしまったことは「後悔」につながる。
「後悔」せずに感情を生かすにはどうしたらいいか、
それが、
「次へのモチベーションにする」
ということである。
怒りや悲しみはその中にいる間は抜け出ることもできず苦しく、そしてもがき、ときには自分だけでなく誰かを傷つけてしまうかもしれない。
ただ、その自分の中で発生した感情は熟成されることによって自分のモチベーションへと変えることもできる。
無限に湧き出る活力ととらえることもできるし、無限に湧き出る自分の身を焦がすもの(※)にもなりうる。
※実際に怒りは体への悪影響は大きい。血管を傷つけ、循環器系への悪影響があり、またしわが増えることにもなる。
理性だけでは人は動かない、「こんちくしょう」という思いや「悲しい思いをさせられる」ということによって、次への改善、自身のレベルアップへと昇華していくパワーになる。
強度や持続性や頻度が大きい場合、多い場合、紛らわす努力であったりも必要だが、自分の中で生まれた感情なのだから、一緒に共存して生きていくことで豊かな人生になる。
次を担う世代のために、リモート稽古のために空手着や道具作成やリアルな稽古出張のために使います。