全ては推しと共に(「推し、燃ゆ」・宇佐美りん)
21歳が書く「推し、燃ゆ」。なんで芥川賞を受賞したのだろうかと思っていたが、ようやく読んでみた。
“推し”という言葉が一般化されたのはいつ頃だろう。
主人公の女子高生が推しているアイドルがファンを殴ってしまう。
そしてネットが炎上するところから始まるが、最終的に「推し、燃ゆ」とは違った意味で完結する。
学校生活は勉強も人間関係もうまくいかない。家庭の人間関係もあまりよくない。しかし、生活は「推し」がの中で充満している。起きてから寝るまで。バイトでお金を稼ぐのも「推し」のCD、ライブ、グッズなどの為。
僕自身、年齢がかけ離れていてこのような人と触れ合う機会は無いが、まんざら理解ができないでもない。
自身思い返せば、20代の特に中盤だろうか。あるアーティスト(ミュージシャン)のファンになり、CDなどの楽曲、ビデオ、レーザーディスク(当時はまだDVDが無かった)を買い集め、毎月ファンクラブの会報を楽しみにし、ライブツアーがあれば出かけて行っていた頃のことが思い起こされた。
この本の主人公のように「推し」の為に生きているということは無かったと思うが、「推し」の言動、思考や思想に傾倒する自分がいて、生きる糧のようになっていたように思う。
この本では哲学的なことはほとんど書かれていない、ただ淡々と世間では上手く生きていけない女性の「推し」が中心としての生活が書かれているのだが、好評を得ているのはその文章ではないだろうか。
表現する言葉はとにかく豊かで独特で、他の作品も読んでみたいと思った。
生きる理由が見つからないなどという人が多い現代。「推し活」なる言葉もあり、「推し」を糧に生きることもそれが生きる理由になるならば良いとは思う。
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