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北海道夕張市に移住して10年目になりました

夕張市に住んで10年目となりました。
現在、夕張市内で唯一の司法書士事務所と不動産仲介会社をやっています。

せっかくなので、夕張市に来てからのことなど振り返ってみたいと思います。

札幌市出身ですが・・・

私は札幌市生まれ札幌市育ちです。移住する前には、夕張市と何か縁やかかわりがあったわけではありません。大学卒業後就職するまで、0歳から23歳までずっと札幌に住んでいました。

夕張市については、石炭の歴史村CMやメロンでまちの名前程度は知っていましたが、破綻の当時も私は「札幌の高校生」だったので、ニュースで見ていただけでした。多分旅行で行ったこともなかったと思います。

その状態でなぜ夕張市に行ったんですか?という話をする際には、元々の仕事の話をしなければなりませんので、時系列を追って書きます。

大学のときの話

【19歳】大学2年生です。宅地建物取引士(当時主任者試験)の資格に合格しました。このころは、特に不動産の仕事をするつもりだったわけではなく、法学部だったので、なんとなく腕試しのような感じでした。今となっては思いがけず役に立つこととなりました。

【20歳】大学3年生のとき、司法書士試験に合格しました。
行政書士の試験も同じ年に合格しています。

【21歳】司法書士の簡裁代理権(簡易裁判所の民事訴訟を代理できる資格)を取得し、大学4年生の在学中に札幌市中央区で司法書士登録をしました。

なぜ夕張市に行くことにしたのか

21歳から「札幌市内の司法書士事務所」で働きました。
ここで勤務しているときは裁判関係の業務や債務整理業務を中心に担当していましたが、独立することとなり、司法書士事務所を開業した先が夕張市だったわけです。

このときまで夕張市には縁があったわけでもないので、理由はそれほど大きなものではないんですよね。「都市でやるよりおもしろそうだよな」そんなに遠くもないし、というのが主ではありますが、加えて以下のような思いがありました。

・夕張市は20年以上司法書士や弁護士が不在の地域だったため、移動ができない人や、身近で相談できない住民が法律サービスで困るケースが多くあった。にもかかわらず、一方で悪徳業者などは都市部からも地方に出張して住民を騙している状況にある・・・という話を聞き、「これは都市部の法律家がなんとかしなければならない問題なんじゃないか?」と考えました。

・どうすれば専門家らしい仕事ができるのか。
都市部の司法書士というのは、営業やマーケティングのほうが重要というか、専門家として難しい仕事ができるかというより、利益をあげるためには簡単で儲かる仕事をいかに多く取ってくるか、ということに特化しているように感じていました。(今思えばビジネスとして当然ではありますが)
当時は大手事務所の過払い請求の大量広告も流行っていましたし、稼いでいる司法書士事務所は不動産会社や金融機関の担当者の接待をいかに行うか、が重視されているように見え、それは本当に顧客のためになっているのか?専門家としての腕の見せ所みたいなものはそこにあるのか?という疑問があったものです。

・幅広い仕事がしたかった
上の「専門家らしさ」にも通じるところですが、司法書士がいないという地域であれば、あらゆる仕事ができるのでは?という思惑がありました。これは実際アタリでして、都市部だったら一部の弁護士事務所でしかやったことがないような業務もあり、現在では、全国の司法書士会の業務手引きの作成や研修講師もやらせていただいています。


色々書きましたが、実際のところノリと勢いが大部分を占め、しっかり考えていなかったのではないか、という気がします。まぁでも、あまりしっかり考えてたらそもそも来てないのでしょうね。

不動産会社を始めた話

来て1年半くらいの頃、24歳のときに会社を設立することとなります。
これは司法書士事務所の法人成りではなく、個人事業としては引き続き司法書士と行政書士をやりつつ別事業・別会社の設立となりました。

大学2年生のときに取っていた宅地建物取引士の資格を登録しての不動産会社の設立です。「なぜ不動産会社をやろうと思ったのか」という説明をするには、夕張市に最初に来たときの話をしなければなりません。

最初、夕張市に事務所を開業しようと考えたときに直面した問題として、
夕張市には不動産業者がいませんでした。
当然、ネットにも賃貸情報などは全く出ていません。
事務所用の物件どころか、住む家も探せなかったわけです。

そこで、最初は通ってホテルに泊まり、居酒屋で情報収集をしました。

居酒屋にて、事情に詳しそうなお店や商工会議所の方を教えていただき、次の日尋ねて行っては、「こういう仕事をしようとしているんですが、どこか借りられるところないですかね?」という話をして回ることとなりました。
その結果、まず事務所は商工会議所の2階を借りられることとなりましたが、次の問題は「家」のほうでした。

あとから知った事情ですが、かつて炭鉱会社の所有物件がほとんどであった夕張市は民間の「賃貸住宅」「アパート」「マンション」というものがほとんどありませんでした。
元々の夕張市の住居は「炭鉱会社が社員に提供している」ものが大部分であり、炭鉱の撤退後は、市がそれらを引き継いだ市営住宅となっているもので、他のまちのように民間企業が個人に対して普通に賃貸業を行っている状況ではなかったのです。

・・・という特殊事情もあり、移住する意思と事務所があるにもかかわらず、肝心の住むための家がありませんでした。
家賃が高くても古くてもいいから無いものか?では売り物件は?と探しても全くありませんでした。条件どうこうではなく全く「無い」状態です。

というわけで、とりあえずは市営住宅に申し込みをしました。
市営住宅は抽選の時期が限られるため、すぐに開業はできないこととなりました。抽選を待ち、しばらくは通いつつ開業準備を進めることとなります。

そして、市営住宅の抽選に落ちます。
その後、札幌から通うか、近くのまちで探すか、など考えましたが、辞退者が出てたまたま空いた市内の市営住宅に入ることができました。

入ったのは古い市営住宅だったので、風呂やボイラーがなかったり(風呂場はある)、洗面所や台所はお湯が出なかったり、暖房や灯油タンクは自分で用意しなければならなかったりしたため、思った以上に初期の引っ越し費用はかさみましたが、まぁでも見つかって良かったな~と思っていました。

そのあとに間借りして住んだ家は冬場に排水が凍結するので、冬場は水を使えないということもありましたね。

自分で住んだときは、場所があるだけ良かったな~と思いましたが、誰もがそう(居酒屋や商店で聞き込みしてまで風呂シャワーなし物件を探して住むのかという話)ではないでしょうし、これはもしかして「住みはじめるのが難しいのでは?」と思ったわけです。
夕張市に移住するというだけでもそもそも難しい話のうえ、さらに都会で住居を探すより何倍も難しいのはどう考えてもおかしいだろ・・・と感じたことが、不動産会社を設立したきっかけのひとつですね。

そんなこともありましたが、今となってはとりあえず「どこかの賃貸物件」は紹介できるかと思いますので、細かな条件に答えるのは難しいにしても、私が最初に来たときのような大変さはなくなったのかなと思います。

常に課題となる収益の面

以上のように「面白そう」または「義務感」だけでやってきたようなものですが、事業をやるにおいて重要な検討事項が完全に欠けていました。事業の収益です。
※司法書士会では、他の司法書士がいない地域で開業をすると司法過疎対策の基金からお金を借りられる制度がありました。

来たときもそうですが、不動産業も「無くて自分が困ったから」くらいの理由で始めているので、利益のことをすっかり考慮しないで始めています。

これは、「困っている人のためなら利益なんて!」みたいな美談ではありません。よく、利益度外視で人のために~みたいに言ってもらえることがあるのですが、私はそういう滅私奉公したい系の意識高い人ではないので、ただの狂気というか、本当に考えていなかったというだけの話です。

まず「不動産仲介の報酬は不動産価格を基準に決まる」という点が大きな壁となります。簡単にいうと、不動産売買では取引額の大体3%を報酬として、法令でその上限額が決まっています。
引く手あまたの都心の人気物件を3000万円で仲介すると報酬は90万円である一方で、なかなか売れない地方の空き家を苦労して50万円で仲介したところで報酬は2万円くらいというわけです。

実際、当社で取り扱った戸建ては8割以上が100万円未満のものです。

もうひとつの課題として、儲かる業務だけは都市部の業者も受ける。ということがありました。司法書士や弁護士であれば出張相談でも割に合えば案件を受けますし、不動産であれば、新しい建物のように売れるものは市外の不動産業者も取り扱いをします。
この結果、どうしようもなく困っている人ほど法律サービスや不動産において取り残されてしまっていたというのが現状でした。
(当事務所はどうしようもなく困っている人も大歓迎ですよ。)

今後について

今後は何より、始めたものをどう維持していくか
が最大の問題かと思っています。

そりゃあもう全部辞めてしまって都会で就職でもしたほうが絶対いいだろと考えることもよくあります。
しかし、困ってる人がいて始めたわけですから、無くなるとさらに多分困るわけなんですよ。今利用している人たちが困らないようにどう維持するか、これは私が続けていくかどうかにかかわらず考えていく必要がありますし、持続性としては属人的でない方法が望ましいのかなとも思います。

おわり

すでにお祝いのメッセージをいただいた皆様ありがとうございます。
ほか「市議会議員をやることになった話」的なものは、後日機会があれば書こうかと思います。

以下は業務のウェブサイトです。


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