見出し画像

幸せになったら創れなくなると思っていた。そして今、

幸せになったらクリエイティブができなくなるような気がしていた。

私にとっての生み出す行為、表現、愛する世界観には少なくとも、毒々しさやアンチテーゼが根底にあった。
だからこそ、孤独を手放したら、心が満たされたら、頭がお花畑になったら、自分の創作への意欲、カラフルな色使い、キラキラしたものへの執着、kawaiiを愛する心、発信する気力、それらが消えてしまうのではないか不安だった。

自分からそれらが失われてしまったらもう何も無い。幸せと引き換えにそれが無くなるなら幸せじゃなくていい。

大学生の頃、そんな風に思っていた時期があった。

…しかし今、私は幸せになってしまったのだ。
幸せになったって、俗に言う彼氏ができた!とかそういう単純な意味だけでは無い。

自分を肯定できるようになった。自分を信じられるようになった。他人を愛せるようになった。この地球に生まれたことが幸せ。人を幸せにしたい。満たされすぎて空見てるだけで涙が出る。

数年前の自分には本当にありえなかった感覚なのだ。こんなことを言ってる人がいたら、こわ!善人ぶってるの?って思ってたと思う。
でも本当に自分がこんなことになってしまうとは。

ここ数年(といってもほぼ最近)でなんとなく、悟りのような気づきのような感覚を色々経験した。ここは話すと長くなるのでまたいつか…。

本題に戻ると、クリエイティブができなくなりそうだから幸せになるのを恐れていた私が幸せになってしまった。と言う話。
…結果どうだろう。
確かに数年前のような、作ることに縋り付くような気持ちというか制作意欲につながるドロッとした感情とか、そういうものは無くなってしまったかもしれない。
だけど私は今もクリエイティブを、つくることを愛しているし、それがないと生きていけないと思えている。
私がいま大切にしていることは、あの頃抱えていた毒々しいものを忘れないこと。社会に中指を立てる気持ちも忘れないこと。
創作に必要なのはそれが全てではないけど、やはり時には必要だ。
そして、いくら幸せであれ人は孤独であるということ。

私には実現したい夢が沢山ある。結婚、子供を産む、そういうこともあるし、きっとそれだけでも充分幸せな人生を送れる。
だけどそれ以外にもクリエイティブな面での夢がありすぎる。
そして、人に良い影響を与えたいとも思うようになった。

創作することは、必ずしも負の感情を必要とするものではない。けれど忘れないようにする。
それが誰かのためになるかもしれない。誰かの心に響く表現の要素になるかもしれない。
その心意気で、これからのクリエイティブ人生をやっていきたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?