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絵とことば

ものすごく久しぶりに公開日記を書く。

6年くらい前までブログを持っていたのだけど、上京して本格的にブレエコを具現化していくことを目指していく中で、あるとき文章を書く事をやめた。

言葉ばかりが先行してしまって、行動が伴ってないと感じたから。文章って、いくらでも嘘がつける。それっぽいことを言って、それっぽい人間に見せることもできる。実際「こんなことがやりたい!」と書くと、人間の脳は本当にやった気になってしまうらしく(まあ、それが良く作用する時もあるんだけど)、その当時は言葉と現状のズレに居心地が悪くなって、結局ブログをやめてしまった。言葉よりまず結果を出したい時期だったし、行動で示したかったから。

ブログを持っていたころ、何気ない出来事や気づきなんかを、文章で表現していた。でも漫画を描くとちゃんと決めてからは、「これって、文章でインスタントに表現していいの?もったいなくない?」と思うことが増えてきて、核心的なことは胸にしまうようになった。

それ以降は何かの告知の時に想いをの丈を綴ったりする程度で、あえてペラペラペラペラ語らないようにしてきた。今もあんまり語りすぎたくない方針なのだが、「漫画に込めたいことは漫画に込めればいいし、文章で書きたいことは文章で」と切り分ければ、べつにまた文章を書いてもいいんじゃないかと思ったので、またちょこちょこ綴っていくことにする。活動も新しいフェーズに入ったことだし。

去年の末〜3月ごろまで、偶然の巡り合わせでほぼ日の塾というところに通った。そこでの課題で久々に文章表現にがっつり向き合ってみて思ったのは、文章ってやっぱり自分には説明過多すぎるってことだ。

対して、漫画は言葉にしたくないことは言葉にしないまま表現できる。何気ない表情や間、ある時は風景だけで。全部言葉で語らなくてもよいその絶妙な心地よさが自分に合ってる気がして、そういうところが気に入っている。

「自分の言語は言葉より絵なのかもしれない」と気づけたことは、塾での大きな収穫のひとつだった。でも逆に絵や漫画でできないことを伝えたりするために、文章もまたやっていきたいと思わせてくれる場でもあった。

ツイッターじゃ流れが早すぎるし、何せ140文字しか書けない。うるさくて、渋谷のスクランブル交差点にずっと立たされてるみたいな気分になる。
今さらながら言ってしまうと、じつは自分のペースに全く合わない場所なのだ。ツイッター。

だからもう少しゆったりと、自分の言葉で話せる場がやっぱり必要だった。noteは札幌の街みたいに適度にパーソナルスペースがあるから(住んだことある人にしか通じない例えだけど)、たぶん僕に合ってると思う。


ところで、公開日記ってなんのために書くんだろう?本当の意味での日記はやっぱり自分の手帳に書くもんだと思ってるので、こういうのは生存確認・副音声的なものと思ってもらえたら幸いだ。雑誌の中間の単色ページにある、ちょっとした読み物みたいな。あんなイメージ。

だって全部が気合の入ったちゃんとしたコンテンツだったら、続かないもん。疲れる!

というわけで もう一度、たまには気ままに書いてみることにする。

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転機というのもあってちょっと生活に追われてしまってるが、5話の続きはちゃんと描いているのでご心配なく。


はやく今の生活に慣れたいなぁ。

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