見出し画像

「嫌い」は強く、「好き」はちょっと面倒くさい。

某週刊誌で「嫌いな女優ランキング」という特集が組まれていて、担当者はどんな思いで企画を立てたのだろうと妄想していたら、2週間が経ちました。

公式HPで「読まれている記事ランキング」のトップになっていたので、“狙いどおり”という感じなのでしょうか。あるいは、毎年恒例のようだから「じゃあ、まぁ今年も」という感じなのかもしれません。「嫌いな女優ランキング」に入る方って、だいたい「好きな女優ランキング」にも入りますよね。

インタビューとして話を聞くとき、「嫌いなもの」「許せないもの」をどうしても聞かねばならないことがあります。

ある教育系の起業家に話を聞いた時のこと。彼の作る教育コンテンツは斬新で面白く、子ども達が時間を忘れて熱中していました。それを作るために猛烈に働く彼に「許せないもの」を聞くと「工業製品を作るかのように、生徒を画一的に育てる学校教育」と即答されました。彼は学校になじめずに不登校も経験し、「こんな授業があればいいのに・・・」という怒り・やるせなさが、起業の原動力になったそうでした。

「嫌い」「怒り」「許せない」の先には、しばしば未解決の課題がある。この解決を目指すと、そこには新しい「仕事」が生まれるのかもしれません。

「怒り」で思い出すのが、映画監督の宮崎駿さん。

あるドキュメンタリーで、ドワンゴの川上量生さんが宮崎さんを訪ねたシーンがありました。そこで、川上さんはコンピュータシミュレーションを使うことで、現実にはありえないような "グロテスク" な動きを実現できることをプレゼンしたのです。

ところが、その映像を見た宮崎さんは「生命を冒涜している」と怒りだします。(おそらく川上さんには冒涜するつもりはなかっただろうと、ちょっと同情しましたが)宮崎さんが「命の尊厳」「生きること」といったテーマにこだわりつづけてきたことがよく伝わる名シーンでした。

「嫌い」「許せない」は反射的でインスタントで、くっきりとした棘まで見えるような実体を持っていることもあります。一方の「好き」と言ったら、なんとぼんやりして面倒くさいのでしょう。

「誰か紹介してよ」と言われた時、好きなタイプを聞いても高確率で「ふつうの人でいい」と返ってくる。でも、「これは許せないというポイントを教えて」と聞くと、具体的な答えがポンポンと返ってくる。そんな経験をしたことがある人は、けっこういるのではないでしょうか。

全然よく分からない。でも、個人的に好きなのが、お酒の魅力を伝えようとする文章です。

「ウィスキーのロールスロイス」と呼んでみたり、「ワインと見まがうような香り、よく嗅ぐとゴムっぽい香りややや酸味のある梅干しがごとき香り」「幸運の女神のほほえみ」「華やかな貴婦人」。これでもかと言葉を重ねます。それでも、やっぱりまだ分かった気がしませんよね。
ただ、コピーを書いた人が、このウィスキーを愛していることは、そこはかとなく伝わってきます。

時として、ひとつの「好き」を伝えるためには数百ページ10万文字以上の言葉が必要です。たとえば、沢木耕太郎さんの『檀』。

妻子がいながら愛人を作り、旅行し、その過程を題材に小説まで書いた作家・檀一雄。『壇』は檀一雄の妻・壇ヨソ子さんに作家・沢木耕太郎さんが取材し書かれた、独白調の自叙伝的文学です。

途中には、檀一雄に対する憎しみや後悔、痛みが丁寧に書かれています。しかし、そうした記述を経てラストの2行に辿り着きます。この2行がすごい。すべての「嫌い」はこの2行のために存在していた、と言っても過言ではありません。

あなたにとって私とは何だったのか。私にとってあなたはすべてであったけれど。だが、それも、答えは必要としない。

嫌いなもの・許せないもの・鼻につくものの中には「毒」が含まれている。毒も少量用いれば薬になるように、物語では「毒」が意識的に使われています。

ハッピーエンドに向けてのスパイスとして盛り込まれたり、悲劇を繰り返さないためにこそ、目を背けたくなるような事実を練り込んだり、その人の原動力を知るための不可欠な転換点といった形で。

恋愛リアリティショーで1~2話あたりでは「毒」が多めに使われるのは、「好きなもの」よりも「嫌いなもの」の方が即効性があるからでしょう。

今、世界には毒のコンテンツがあふれています。読み手も毒に慣れている。ちょっとの毒では感じないし、ついイライラすると分かっていながら見てしまう「毒依存症」に罹患している人もいるかもしれません。

だからこそ、毒を使う時には、書き手や作り手の「矜持」みたいなものが試されている気がします。毒そのものを目的としないように。「嫌い」を練り込んだ先に、曖昧な「好き」ってやつを形にしたい。ごく個人的なこだわりだけれども。

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

読書感想文

いただいたお金。半分は誰かへのサポートへ、半分は本を買います。新たな note の投資へ使わせて頂きます。