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雨がふり、忘れものをして、

僕には「ふたつのことを同時にできない」という特徴が顕著にありまして、随分とたくさんの落とし物・忘れものをしてきました。この特徴はお医者さんの“お墨付き”です。

高校時代には友達と何かの話で盛り上がり、学生カバンを駅のプラットフォームに置き忘れたまま電車に乗ってしまったこともあります。

最寄り駅に着いて初めて忘れたことに気付き、あわてて折り返しの電車に飛び乗りました。カバンは誰もいない夕暮れのプラットフォームに、ぽつんと落ちていました。まるで主人の帰りを待つ忠犬みたいに。


とくに数えきれないくらいなくしてきたのは傘で、コンビニで買った500円のビニール傘などは3回も使えれば良いほうです。

電車を降りる間際に本が面白い箇所にさしかかると
「あ!これは面白い!付箋はらなきゃ、付箋、付箋・・・」
という感じで傘をどこかに立てかけ、そのまま忘れてくる。

どうすればなくさないだろう。

そこで、「なくすと惜しい」くらいの「よい傘」を買ってみました。傘専門店で一番デザインの気に入ったものです。
落ち着いた赤と青、そして白のチェックで、ピエト・モンドリアンの描く抽象絵画のような柄。サラサラとしたプラスチックの持ち手が、雨の日の湿り気を帯びた手に心地よい。価格は破格の2500円。

この方法はなかなかにオススメです。僕にしては珍しく1つの傘を2年ほど使いました。なにより、憂鬱な梅雨の季節が楽しくなります。
「お、雨が降っている。あいつの出番だな」と。

でも先週、この傘をとうとう電車でなくしてしまいました。

鉄道会社に連絡したけれども、見つからない。
きっと、だれかが持って行ってしまったのだろう。

鉄道会社電話を終えると、妻が話しかけてきました。

「見つからなかったの?」

僕「うん」

余程おちこんでいたのか、見かねた妻が言いました。

「うーん…いい傘だったからきっと大事に使ってくれてるよ」

僕「そうかな?」

「私も傘が好きで、あ、とくに緑の傘ね。時々なくしちゃった時は、そう思うようにしてる」

僕「たしかに、あれいい傘だった」

「週末、傘を選びに行きますか?。もうすぐ梅雨がやってくるし」

あきらかに人より多くの「ぽか」をしてきたけれども、たまたたま運良く、それほど落ち込まない人生を送ってきた気がする。

僕には、もうひとつ「思い込んだら、こうだ」という特徴もあります。

昔、小学校で「たし算」のテストがあった時のこと。
何を思ったのか、僕はたし算でなく「ひき算」のテストだと思い込み、すべて「ひき算」で解いてしまいました。「6+3=3」というふうに。

もちろん結果は0点。

「0点」といえば、当時の僕には「のび太がよく取って、ママに怒られる点数」で、物語の中にしか存在しないものだと思っていました。自分が取ったのはもちろん初めて。

母もまだ若かったのか、ショックだったようで(考えてみれば今の僕よりも若い)

「なんで、たし算とひき算を間違ったの!!!」
と厳しく僕を問い詰める。

でも、間違えた理由が「本当に分からない」のです。
「だって、ひき算のテストだと思ったから・・・」
としか言いようがないのです。

子どもなりに落ち込んでいたのか、父親が帰ってきたら「また怒られるのかなぁ」と重い気分でした。

ところが、父が母からこのテストを受け取ると、父は答案をじっと見て、特に驚いた様子もなく言ったのです。

「まぁ、“ひき算”としては全部合ってるからいいんじゃない?」

その言葉に、僕は不思議な感動を覚えました。怒られずホッとしたというもあるけれど、「え、そんな考え方あるの?」という感じ。

あれから何十年も経って、当の父はこのことを全く覚えていませんでしたが、あの一言は、僕の「根っこ」の一部を作っているように思います。

失敗して慌てふためいた時こそ「本当にそれは大事な問題だろうか」と考えてみる、世界との距離のとり方とでも言えるでしょうか。

「ぽか」をしたときにもらった時の言葉って不思議なくらいによく憶えています。ポジティブなことも、ネガティブなことも。

そうやってもらってきた言葉の積み重ねの先に、今の自分がいるんだなぁと時どき実感します。

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