アニバ曲が好きだ

私はアニバ曲が好きです。アニバ曲、というかアニバ合同曲ですね。エウレカとかコングリとかミュージアムジカとかです。

理由は1曲で勝負ができるから。

賛否両論あると思うんですけど、SideMの楽曲はユニット制で、誰でも歌える楽曲を前提として作られている訳ではないので、アイドルに、そのユニットに合った楽曲が与えられていると思います。
だからこそアイドルやユニットの「今まで」の背景が生きるエモい歌詞の嵐になるので大変好きなのですが、そことキャラクターソングとの違いを見つけるのってなかなか難しいです。
特に実在しない彼らが歌う曲が、「キャラクターソング」として存在するコンテンツ自体はアイドルでなくてもたくさん存在します。
だからこそアイドルやユニットの「今まで」に依存しない曲調や歌詞で1発ドカンとぶつけられるアニバ曲って、私にとってのSideMの有するアイドル=偶像の曲だと強く思うんですよね(持論です)。
私はアイドルという存在が大好きです。
そもそも私にとってのアイドルってなに?というところに行くのですが、今のところ「偶像」という解釈が一番近いです。

それに付随して天海春香の話をして申し訳ないのですが、(この後は765ASのゲームのネタバレなので適当に塊ごと読み飛ばしてください)彼女はベストエンドになって(トップアイドルになって)、プロデューサーに想いを伝えてもプロデューサーはそれに応えることがないんですよね。どの世界でも。
それが私が天海春香が好きな大きな理由なのですが、一人の女の子をアイドル=偶像としてとらえて恋愛要素なくゲームが終わり、アイドルの物語が完成するという残酷さが、このゲームの一番真ん中に立つ彼女の運命なんだなと思うんですよね。
アイドルというものは象徴で、ひどく残酷で、それを大切に永遠にしようとする人間のエゴの押し付けのように感じて、その文化そのものがとても好きなのです。
だってアイドルはそんな汚いような人間の欲を、より強い己で応援に、輝きに変えていける存在だから。そう信じられる確証なんてないのに、私はアイドルをそう信じています。信仰ですね。私はだからアイドルは神に近い偶像であり、人々が愛するモチーフだと解釈しています。

アイドル=偶像という解釈はSideM界隈で言いますと旬役の永塚さんが昨年のプロミでお話されていた、ポーカーフェイスを歌う旬に対して「若い彼らが歌うからこそ意味がある」(概要)という言葉が一番近い気がします。(永塚さんのこの話永遠にしちゃうんで別記事で書きますね)
自らに寄り添う楽曲を歌わず、背伸びした楽曲を、与えられた新しい価値観をどう表現するか。
アイドルは偶像です。だからこそ、「何にでもなれる」と私は考えています。
それが一番伝わってくるのがアニバだなぁ、という結論でした。

作詞に関してはユニット毎にほぼ決まった制作陣がついていて、彼らの存在価値を際立たせる楽曲が作られています。とても大切にされていると思います。うれしいです。でもアニバ曲はユニットの枠を超えて複数ユニットで歌います。その楽曲の歌詞は、SideMの変わらない本質を、彼らの今の言葉でぶつけてくるようなものだと感じています。

だから私はSideMの根っこを、アイドルの未知を、彼ららしさを感じられるアニバの合同曲が大好きなのです。

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