もしベイビーちゃんが夜道に子どもを一人置いておきたくないのなら、学校に電話をするよりも良い方法がありますよ。
アシュタールさん、ご質問を頂きました。
これなー。
どうしたらいいんだろうか。
らくたさんが何かヒントをくれているようにも思うんだけど。
まぁ親も親で大変よね。うん。
アシュタールさん、どう思う?
「行動ではないんですよ。どんな気持ちか、です。」
「助けようと思って手を差し伸べるのは親切だと思います。」
「このたとえがわかりやすいと思います。乗っていきませんか?と声をかける目的が、親切のこともありますし、出会いが目的のこともありますよね。どんな気持ちで声をかけるか、です。」
猫や人が倒れていたら、手を差し伸べてもいいの?
「それが親切であれば。しかし時には手を差し伸べることは不親切になる場合もあるのです。
死にかけていた人(猫でもいいですよ)がそこにいた場合、静かに死なせてあげるのが親切である、ということはイメージできますか?
例えばそうですね、公園で死にかけている場合、救急車を呼んだり、あなたの自宅に連れ帰ったりして、そして死んでいくよりも、公園で風に吹かれながら静かに死を待つほうが、安らぎに包まれる、というケースがあるんです。イメージできますか?」
はい。
「あなた方は死ぬのが悪いことだと思っていらっしゃるでしょう?残念なお知らせですが、誰でも死ぬんです。みんな死ぬんです。
死ぬべき時に死ぬことは幸福なことです。」
うん。
私たちは死にかけてる人や猫を自分で創り出してるの?
「はい、その出会いは両者の打ち合わせ済です。」
何を学ぼうとして?
「愛です。」
「自己満足のための設定ではありません。愛を学ぶための設定です。
もし、そのときとった行動が自己満足のためだった、と気が付くことも含めて愛を学んでいます。
そのための連携プレーです。」
「おこがましい、とあなた方が感じる感覚がよくわかりません。ただ、学んでいるだけです。お好きな設定を用意して学んでいるだけです。
そうですね。今回のベイビーちゃんの件でしたら、彼女は明日、小学校に電話をしようかと思っています。電話をする、という行為は同じでも、そこに批難の気持ちを入れることもできますし、愛の気持ちを入れることもできます。
彼女の世界では彼女を中心に、夜中に道端にいた子ども、その親、学校の教師、記事を読んだみなさん、がそれぞれ愛について学びます。ある人は教師の係をしますし、ある人は傷つけられる経験をするかもしれません。その経験を通して愛を学びます。わかりますか?」
電話をしないほうがいいの?
「行為ではありません。その時の状態、気持ちというかモードです。愛のモードなのか、そうでないモードなのか。
電話をしてもいいんですよ。電話をしなくてもいいんです。
あなたは電話をしたがってるでしょう?強い衝動です。そしてその行為をすることでいい気分になるのなら、そうしてください。嫌な気分になるのなら、それは間違った道に進んでいる、ということです。」
電話をしたあとで、いい気分になるか、悪い気分になるかは、わかりません。対応してくれた方の態度によるでしょうし。何もしないほうがいいのかな。まぁ何もしなくても、たぶん問題はないよな。
今の日本では夜道に子どもを30分くらい放置しても、犯罪に巻き込まれる確率はそう高くないだろうし。でもなー…。
子どもはほっといたら良かったんだろうか?
「子どもをほっといても、今回のように介入しても、どちらにしても愛を学ぶんです。子どもをそのままにしたら、きっとベイビーちゃんは胸が痛みます。そのことを通して愛を学びます。
今回のように干渉(!)しても、やはり愛を学びます。」
干渉!やっぱり干渉なのか。そっとして、お母さんとあの子どもたちが、これからも何事もなく過ごせることを願っていたほうがいい?
「ええ、もちろん。彼らのために祈りをささげるのはとても良い方法です。」
電話をするのは?
「どちらでもいいです。あなたのしたいほうを選択してください。」
と、いうことは、道に猫や人が負傷していたり、倒れていたりした場合、手を差し伸べても差し伸べなくてもどっちでもいい、ってこと?
「あなたが親切だと思う方法を選択してください。でももし彼らがほっといいてほしい、と意思表示をするのであればそっとしておきましょう。」
と、いうことは、自分が車で駅まで行くとき、歩行者をのせてあげてものせてあげなくても、どっちでもよくて、親切だと思う方法を選択するってこと?
「そうですよ。」
それだったら、お客さんの持ってるスーパーの袋の中に牛乳が見えてるとき、牛乳は体に悪いってことを教えてあげたい衝動も、どっちでもいいってことになりません?
「基本的にはそうなのですが、でも、今のあなたはもう、それが過干渉であるということを知っていますね。それを知ってなお、自分のやりたいことを押し通したいかどうかです。それは愛のある行動ですか?」
ということは、学校に電話をするのも同じことか…
電話はしないでおこうかな…
「どっちでもいいんですよ。でも、まぁ、学校に注意の電話をするのは、かなり過干渉寄りですね。」
そうか…そうなのか….。自分だとよくわかんないなー。
「ベイビーちゃんは病気のようなものですからね。あ、念のために申し上げますが、病気なのはベイビーちゃんだけではなく、皆さんそれぞれにエゴという病気にとりつかれています。」
そうか…まぁアシュタールさんだったら、学校に電話はしないだろうっていうのはわかりますよ。でもアシュタールさんだったら、夜道に子どもを見つけたらどうするの?
「私たちは夜道に子どもを配置しません。もうそのくらいのテキストはすっかり学習して卒業しましたから。その体験を通して学ぶ必要がないのです。
もしベイビーちゃんが夜道に子どもを一人置いておきたくないのなら、学校に電話をするよりも良い方法がありますよ。
そうです。あなたがすっかりと学んでしまうことです。」
おお!そうか…
何を学べばいいの?私がまだ履修してないことはなに??
「過干渉を卒業すること、そして愛と干渉の違い、愛するということについて、です。」
そうか…。ええっと、まきさんの質問だったよ。
アシュタールさん、まきさんに何かメッセージをお願いします。
「このようにあなたの質問から、ベイビーちゃんたちは多くを学びます。これが共同体験です。体験の目的は愛を学ぶことです。
何かが起きた時学ぼうとする姿勢があれば、学びを深めることができます。あなたが今回質問したことも、さやかさんの体験から自分の学びを深めようとトライしました。ナイスチャレンジ!とても良い貢献です。」
ですってー。
なんか自分の話がごちゃごちゃ入っちゃったな…
これで質問の回答になったのかなー
「このように積み重ねて、あなた方は愛を学んでいきます。協力しながら。シェアしながら。とても素晴らしいことです。」
ですってー。
追加の質問などあれば、コメント欄へどうぞー。
なんかこんなん公開するの嫌だな。
いつもなら有料記事しちゃうところなんだけどな。
ま、いっか。
大体有料記事の中身ってこんな感じで、私が私の未熟っぷりを晒してる感じなんですよー。あーぁ。嫌になっちゃうや。
ま、いっか。
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直接通話でアシュタールさんとお話してみたい方がいたら通訳いたします。電話番号と希望の日時をいくつか(第三希望くらいまで)書いて4980円/30分のサポートしてください。折り返し返信後ご希望の日時に教えていただいたお電話番号にお電話させていただきます。悩み事相談から雑談まで。