寄付やボランティアにつながる共感を伴う「言語化」とは
先日、某お仕事である企画書の検討を、お客様とお話をしていました。その中で、「組織の価値を言語化するために・・・」とお伝えしたところで、
「何で言語化しないといけないのか意味不明なんですが」
とフィードバックいただきました。
最初はおぉと少しショックを受けたのですが、よくよく考えてみると「言語化はよいこと」みたいな前提が自分の中にあったんだなとわかったので一旦おちついてから以下のようにお返事しました。
「貴組織が提供しているプログラムの価値は十分社会的に評価されていることが調査でわかったので、これからはそれを多くの人に伝えることが必要です。そのためには、誰にでもわかる表現やストーリーで伝えないとわからないからです。」
そうすると
「なるほど、それは価値の明確化ということですね」
とお返事頂きました。言語化=価値の明確化という場合もあるんだなと理解すると共に、相互理解が進んだなと実感できました。
別のお仕事のお話なのですが、その団体さんは多様な方を支援している事業をされています。団体の事業説明の資料を作成するタスクについてお話をしていたのですが、各ステークホルダー毎に活動が提供する価値を言語化しましょうというお話が出てきました。
その時に頭に浮かんだのは
「価値を提供するって何だろう?」
ということでした。団体は特定の支援を提供はしていますが、それが価値があるかどうかは、その支援を受けた人しかわからないはずです。それを支援の提供者側から価値を提供していると言うことはできないのではないかなと思いました。
私は心の中で、こう言いました。
「何で言語化しないといけないのか意味不明なんですが」
あぁ、冒頭のエピソードで同じことを言った人はこんな感覚だったんだな、説明が足らなくてごめんよと共感できました。
きっと、「これが価値かどうか私どもにはわかりませんが、支援を提供した方々はこんな変化があったと聞いています」ぐらいにしか言えないのではないでしょうか。
いやー、それは甘いですよ。言語化して伝えてなんぼでしょうよ。と聞こえてきますが、「これが我が団体が提供している価値なんですよー」と伝えて、「へー、それはすごいですね。では100万円寄付しますね。」ってなるでしょうか?そんなお人好しいないと思います。
自団体から語る価値は、どうしても盛ってしまうものです。そして、そのことは情報の受け手は十分に知っています。知らんぷりして聞いてくれているのは、いいことしている人たちだから悪い気持ちにさせたら悪いって気を遣っているだけです。
価値は情報の受け手から語ってもらうものです。「あなた達の活動のお話を聞いて、私はxxxxxxと感じました。そして、それは自分にとってとても価値があることだと思うんです。」と。価値を感じてくれた人は自然と寄付やボランティアなどのアクションをしてくれます。
「じゃあ、ひとりひとりに価値を聞いて、そのエピソードを並べればいいっていうの?そんなことできないでしょうよ。」
と聞こえてきます。確かにそんなことはできません。
冒頭のエピソードの意見交換をした後、フィードバックされた内容を企画書に反映したものをお戻ししたところ「すっとはいってきました」と感想を頂きました。
こうしたお互いの思いを交換しながら言語化された文章は共感をしてもらいやすくなります。そして、誰かと共感しあった言葉は、他の人にも受け入れやすいものです。
寄付やボランティアをお願いする時には、誰かの心の琴線に触れた言葉や、誰かの共感を伴って言語化された言葉を使うのがよいのではないかなと思います。
今回のnoteはいかがだったでしょうか。共感を伴った言語化は自団体だけではなかなかできないものです。そこをなんとかしたいと考えていらしたら伴走支援を検討してみてください。公式LINEのチャットやホームページの問い合わせからご連絡ください。
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