死を肌で感じたときに思うこと
2020年が明けました。
2000年のミレニアムからもうすでに20年が過ぎてしまったことに月日の過ぎゆく速さを感じながらも、
最近は、時間のスピードが速すぎて、という言葉を口にし過ぎていることに気がつきました。
時が過ぎるのが速すぎるという言葉の裏には、忙しすぎてやりたいことができていないという意味が隠れていて、
キャパオーバーしがちにもかかわらず、おもしろそうなことがあるとすぐに手を出す、という性分が災いをしてるなぁとも思います。
年末に引いたおみくじ通り、時間の配分を師に習うとして、今年を乗り切りたいです。
この日考えたこと
元旦は初詣に行って、そのまま飲んでしまったので、まともなことをほぼ考えていません。
そんな中でも話の中で少しだけ思ったことがあります。
ありきたりですが、人生は短いということ。
というのも、年が近い親戚が昨年末に亡くなりまして、その故人の母に会ったのですが、まさか子供に先立たれるとは思ってない中での突然の死。何もかもが現在進行形でした。
人の死を肌で感じた時に思うのは、人の儚さと、人の可能性です。
寿命がいつ来るかはわからないけれども、いつだってストッパーは外せるんだということ。
選択するかしないかは、自分次第だということです。
ならば現状を変えるために挑戦せよ、というつもりもないのですが、
いつどうなるかわからないなら、それを起爆剤のように使う選択肢を、カードとして持っていたいなぁと感じました。
きっと、行動してしくじったときの後悔よりも、しなかったことによる後悔の方が大きいと思うから。
そんなことを酔っ払いながら考えました。
2020年もよろしくお願いします!m(_ _)m
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