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漢方を広めるために障壁だと思うことは何か

昨日のスナック漢方では、「漢方で人が変えられるか」ということをテーマに、漢方薬を飲んで体をメンテナンスしてマラソンする(しかもターゲットは僕ではない)という企画を発表したのですが、

漢方を飲んで走るという部分だけ切り取ると、漢方薬があやしい魔法の粉のようなイメージがついてしまい、人体実験のような様相になります。

本当は、漢方でその人なりの健康水準まで引っ張り上げる、というのが正しくて、引っ張り上げた先にある「走り」は、どんな変化があるのだろうか、という景色を見てみたいと思っています。

もちろん、漢方薬を年がら年中飲んでいる僕もマラソンに挑戦します。

中学校の1500m走でゲロゲロ吐いてから、持久走と名の付くものを避け続けてきた人生に終止符を打ちたいと思います。

この日考えたこと

先日、議論メシ編集部に投稿したこちらの記事に対して、コメントをいただきました。

●漢方を広めるために現状障壁だと思うことは何でしょうか。

漢方が広まらない理由を、僕はずっと、たかい、まずい、うさんくさい、の3つだと思っていたのですが、最近はその傾向が変わってきたように思います。

まずは、漢方がうさんくさいというイメージですが、日々の相談や漢方イベントを通じて感じるのは、うさんくさいと感じている人はほとんどいないということで、漢方は体に良いけど効果が出るまでに時間がかかるんだよね、というイメージに変化してきています。

次に、まずいですが、これはもう味なんて簡単に変わるわけもなく、まずいものはまずいとあきらめている人が多いです。ただ、あまり知られていませんが、おいしい漢方薬もいくつかあって、そんな漢方薬を試飲してもらった時には、「ナニコレ美味しい!」という、うれしいコメントいただくことがあります。

最後に、たかいですが、病院で処方される漢方薬には健康保険がきくので高いというイメージはありません。ですが、漢方薬局で相談して販売する漢方薬は、保険がきかないので高いです。この価格の高さは漢方薬を広めるための障壁になると思います。

漢方は薬学部の時にほとんど勉強することはありませんでした。必修科目に入っていないからです。生薬学はあっても漢方は必修科目にありません。僕の通っていた大学では自由科目に1単位だけありました。

医学部でもほとんど勉強することはありません。それでも医師になると漢方薬を処方することができるので、漢方薬を処方する医師が全員、うまく使えているかどうかはわかりません。漢方は現代医学とはかけ離れた特殊な学問なので、卒業後に自ら選んで勉強しなければならないわけです。

つまり、漢方薬については、専門家の理解が進んでいないということです。

最近になって未病という言葉が使われるようになりました。未病を治すことは、漢方の専売特許のような感じになっているのはとてもうれしいのですが、病気と未病の境目がわかりにくいので、漢方を使う段階では未病ではなく病気(しかもこじれている)ことが多く、慢性化して治りにくい(改善までに時間がかかる)状態のため、漢方は効かないというイメージがつきやすいです。

以上のことから、漢方薬は高くて、専門家の理解が進んでいなくて、効かないというイメージがつきやすいために、広がりにくいんじゃないかなと思います。

それを克服する術は何だと思いますか、という次の質問については、明日のnoteに書きたいと思います。

今日はそんなことを考えてみました。


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