コーヒーを入れ続けた結果、起こったこと
昨夜、消しゴムでできた車の車輪部分(約2センチ)を3歳の長男が飲み込んでしまい、朝からウンチの解体作業員として汗を流したイマケンです。
汗ではなく、涙だったかもしれません。
そういえば、上の娘も2歳くらいの時に鼻にネジをつめて大泣きしたことがあって、あの時は首の後ろをパチーンと叩いたらネジが飛び出たのですが、今回はそうもいきません。
毎朝、ウンチの解体作業が待っていると思うと、早く発掘できることを祈るばかりです。
この日考えたこと。
コーヒー好きが高じて、人に美味しいコーヒーを入れたくなる、という厄介な病気が発症しています。
コーヒーにはやっぱり中毒性があって、朝になるとどうしても飲みたくなる。
そんな朝のタイミングで、コーヒーを入れあげるというおせっかい野郎になっていて、僕の勤務先である某薬局では、朝10時を過ぎると、
「コーヒー飲みます?」
という誘いの声が毎日かかります。
ここで白状すると、本当は自分が飲みたいのを、あたかもみんな飲みたいから入れるという体にしているのですが、優しいスタッフの皆さんは「はい飲みたいです!」という言葉を返してくれます。
コーヒーを入れることに、いつしかこだわりが生まれてきて、同じ豆でも入れ方によって味が変わるコーヒーは、まるで呼吸をしている生き物のように感じます。
挽いた豆の荒さと、お湯の温度と、お湯の量を変えて、どれか美味しく感じるのかを試すのが理科の実験のように楽しくて、
好みや体調によって変わる味覚を確かめるように、自分の舌だけでなく、誰かの舌でも味わってもらっています。
そんな話をあちこちでしながら、チャンスがあればコーヒーを振る舞っていると、たまにコーヒー豆をいただくことがあります。
これがまた地元にあるコーヒー専門店(自家焙煎をしているお店)だったりして、新しい美味しさに出会うことも少なくありません。
方向性の違う知らない味を教えてもらうことが楽しくて、そこで仕入れた(いただいた)知識と経験もとに、また誰かにコーヒーを入れるというサイクルができあがります。
こうしてまとめてみると、
①コーヒーが好きになって、
②より美味しいコーヒーが飲みたいからと自分で入れて飲むようになって、
③より美味しさの精度を上げたいからと他の人の分まで入れる様になって、
④コーヒーが好きならこのコーヒーも飲んでみなよとコーヒーをいただく様になって、
⑤もっとコーヒーが好きになって、
②から⑤を繰り返す。
繰り返すたびに、感謝をされながら、コーヒーを入れる技術が上がり、コーヒーの知識や経験までも増えるという。
なんだか最強の応援スパイラルに入ってるなと。
そんなわけで、これからもいろんな人にコーヒーを振る舞っていくポジションでいたいなと思いました。
(コーヒーをくれと言っているわけではないですよぉ😆)
今日はそんなことを考えてみました。
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